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ビジネスに役立つ哲学
キャリアについて
ビジネスに役立つ哲学4:キャリアはめざすものか? それとも結果か?
あなたは、自分のキャリアについて考えたことがあるだろうか。長く企業に勤めていると、さまざまな業務を経験し、年齢とともに役職も上がっていく......、この歩みがあなたのキャリアパスとも言えるが、それは自ら選んだキャリアだろうか? そもそもキャリアパスとは、自ら選び進んでいくものなのか、それとも歩んだ道のりが示す結果なのか。
あなたには、あなたの生き方に合ったキャリアがある
こんな話がある。紀元前古代ギリシアにあったエピロスの王ピュロスに、側近の賢者シネアスはこんな質問をしたそうだ。 「ギリシアを征服したあとは、どこを征服しますか? 」と。王は答えた。「アフリカだ」と。シネアスが「ではアフリアの次は? 」と続けると、「中央アジアだ」と王は答え、シネアスが「中央アジアの次は? 」と続けると、「インドだ」と王は答えた。ネシアは続けて「インドの次は? 」と問う。ここで王は、「休息しようか......」と、ため息をついた。「なぜ? 」とシネアスは聞いた。「なぜ、いますぐ休息しないのですか」「なぜ、果てしなく高みをめざすことをやめようとしないのですか」と。 さて、この逸話はどんなことをわたしたちに教えてくれるだろうか? ピュロス王のように「高みをめざす」という目標の立て方は、仕事をするうえでの原動力にもなり、キャリアパスにもつながってくるだろう。 だが、そもそもキャリアとはなんだろうか? あなたの仕事は、キャリアのためにあるのだろうか? あなたの一切の努力は、キャリア達成のためにあるのだろうか? すべてのキャリアを達成したあかつきに待ち受けるのは、あなたが理想とするような立派な人物となった自分だろうか? 大事なことを伝えておこう。「あなたには、あなたの生き方に合ったキャリアがある」ということを。 だれかが歩んだキャリアパスは、あなたの道ではない。世間的にみてステータスの高い地位や役職もまた、そこにいる人物の一面を評価する基準になることはあれ、地位や役職そのものが評価されているのではない。 あなたという人物もまた、その地位や役職によってのみ評価されるのではない。 「高みをめざす」という発想は、あなたの考え方や生き方を貧しくし、あなたの本来の価値を失わせる危険もあるのだ。 だから、キャリアアップに執着する者に、わたしは別の進み方を提示するだろう。 「自分自身の言葉に誠実に、奇をてらうことなく、ただ整然と働き進むがよい」と。(モンテーニュ)
「なすべきことをなす」、その結果として 思い描くキャリアパスが成就するなら上々ではないか
きみが思い描くキャリアなるものは、現実的だろうか? あるいは妄想だろうか? 実現性のないただの妄想ならば、適当なところでその妄想を打ち捨ててしまおう。 もし、きみが思い描くキャリアが現実的か妄想かわからないなら、こう考えてみるといい。 たとえば、目の前で攻撃されている友人を助けることができるだろうか? 不正に取得した金銭を返せるだろうか? 病にかかった人を看護できるだろうか? きみが思い描くキャリアパスを歩むうえで、こうした行動が阻害されるのであれば、そのキャリアはまさしく妄想だ。 人間というものは、困難な状況におかれたときに妄想にとりつかれ、誤った道を選びがちだ。「目の前にあることより、もっと大事なことがあり、そのもっと大事なことを選択することが自分のキャリアにつながる」、このような錯誤をしてしまうこともある。 だが、目の前にあること以上に大事なことがあるだろうか。友人を助ける。不正をしない。病人を看護する。これらの積み重ねで、ようやく、未来が描けるのだ。 ただ、「なすべきことをなせ」。それがきみの誇りになるはずだ。決して地位や年収がきみの誇りになるのではない。「なすべきことをなす」。その結果として、きみが思い描くキャリアパスが成就するなら、それはそれで上々ではないか。 「なすべきことをなし」続けた結果、きみが夢見たキャリアパスとは全く別の道に進むことになるかもしれない。そんな道を見つけたきみを、わたしはいっそう誇りに思うだろう。(アラン)
「デカイチャンス」などない ただ、目の前の機会を逃すな!
大きな仕事をなしとげるには、機会をつくろうと努力するより、目の前の機会を捉えるように努めよ。世間にあふれる情報をあてにするな。他人の下す判断ほど不確かなものはない。技巧も思想も、ただ機会を捉えるために使え。 知識も同じだ。知識の量が勝敗を決めること、キャリアにつながることもたしかにあるだろう。だが必ずしも知識がキャリアを約束するものではなく、知識に裏切られることもあるだろう。 知識があっても間抜けである人間が、なんと多いことか! しかし、判断力があって間抜けである人間は、皆無だ。そもそも、判断力がある人間が、間抜けであることは決してない。 「デカイチャンス」などという戯言にだまされるな! そんなものはまやかしだ。機会にデカさもクソもない。ただ、目の前の機会を逃すな! そのような判断を続ければ、気づいた時には大きな仕事をなしとげているだろう。(ラ・ロシュフコー)
大竹 稽 (Ootake Kei)
教育者、哲学者。1970年愛知県生まれ 旭丘高校から東京大学理科三類に入学。五年後、医学と決別。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究した。専門は、カミュ、サルトル、バタイユら実存の思想家、バルトやデリダらの構造主義者、そしてモンテーニュやパスカルらのモラリスト。編著書『60分でわかるカミュのペスト』『超訳モンテーニュ』『賢者の智慧の書』など多数。東京都港区や浅草で作文教室や哲学教室を開いている。
大竹稽HP https://kei-ohtake.com/
思考塾HP https://shikoujuku.jp/