仕事のプロ
2019.03.28
聴覚障がい者の社会参加のパラダイムを変える
聴覚障がい者が講師を務める無言語コミュニケーション研修プログラム『DENSHIN(デンシン)』を提供する(株)Silent Voice(サイレントボイス)。2014年に創業し、2016年に法人化した新しい会社だが、法人契約をするクライアントは大手企業をはじめ60社にも上る。2017年には同名のNPO法人も立ち上げ、株式会社とNPOという2つの事業活動を通して、「聴覚障がい者の社会参加のパラダイムを変える」という挑戦を続けている。創業から現在までの道のりや事業内容、ビジョンについて、同社取締役でDENSHIN事業部責任者の桜井夏輝氏に伺った。
聴覚障がい者を取り巻く環境の厳しさを
目の当たりにし、起業を決意
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2月某日、都内で開催されたあるセミナーでの「無言語コミュニケーション」の一幕。初対面の人同士が、『自分の好きな食べ物』『小学生の頃の夢』『落ち着く場所』などを言語を介さずに伝え合う。発話や口の動きでの表現は禁止。伝える側は、身振り手振りや表情でなんとか伝えようとし、受け取る側は、相手の全身の動きに目を凝らし、メッセージを読み取ろうとする。無言語コミュニケーションタイムが終わると会場には安堵したような空気が広がり、互いに表現していたものを確認し合うと、一気に盛り上がる。ものの数分で、会場は驚くほど打ち解けた雰囲気に包まれた。
この無言語コミュニケーションを企業向けの研修プログラムとして提供しているのが、(株)Silent Voiceだ。同プログラムは「以心伝心」から「DENSHIN」と名づけられており、聴覚障がい者のスタッフが講師を務める。
Silent Voice代表の尾中友哉氏の両親は、聴覚障がい者。自身は聴者だが、日本語より先に手話を取得した。尾中氏にとって聴覚障がい者は身近な存在であり、母親が喫茶店を経営してイキイキと働いていたこともあって、聴覚障がいをネガティブなことだと感じることなく育った。ところが、大学を卒業して社会に出ると、聴覚障がい者に出会うことがほとんどなくなった。改めて世間を見直した尾中氏は、聴覚障がい者を取り巻く環境がいかに厳しいかを目の当たりにする。聴覚障がい者の活躍の場を増やすために、自分で何かしたい。そう考えた尾中氏は、東京で勤めていた広告代理店を辞め、地元の関西に戻った。
そこで尾中氏が声をかけたのが、現在、(株)SilentVoiceで取締役・DENSHIN事業部責任者を務める桜井夏輝氏だ。2人は、大学の新聞部の先輩・後輩の関係。学生時代から「尾中さんのアイデアは外れがない」と感じていた桜井氏は、『おもしろそう』と一緒に事業を始めることを即決。「直感的に、いいな、やりたいなと思った。たとえ失敗してもネタになるだろうから、損のない選択肢だった」と、桜井氏は当時を振り返る。
コミュニケーションにおいて大切なのは、
「スキル」ではなく「マインド」
2年あまりの個人事業主時代を経て、二人は2014年にSilent Voiceを立ち上げた。最初は任意団体として、聴覚障がい者の活躍の場を増やすための方法を考えたり、手話を広めるために「手話動画辞典」という動画を制作してYouTubeで発信したりという活動を始めた。また、一般の人にも聴覚障がい者の感覚を体験してもらおうと、地域のコミュニティセンターや公民館などで無言語コミュニケーション研修を行うようになった。
「私自身は、それまでの人生ではデフ(聴覚障がい)の人との関わりはありませんでした。手話もまったくできず、ジェスチャーや筆談、口の動きなどで伝え合うしかなかったのですが、ちゃんとコミュニケーションが取れたんです。大切なのはスキルではなくマインドなんだ、という気づきは大きかったですね。当時から、無言語コミュニケーション研修ではコミュニケーションのマインドを育てることに軸を置いてきました。これは、DENSHINのコンセプトにもなっています」(桜井氏)
小規模だった活動が転機を迎えたのは、一気にブレイクしたのが、2016年の夏のこと。ある大手企業の労働組合主催のイベントで無言語コミュニケーション研修を行ったのをきっかけに、多くの企業や組織から依頼が来るようになり、活動の幅は急速に広がった。
桜井氏には、強く印象に残っている言葉がある。初期からの顧客である某携帯ショップ代理店の社長にかけられた言葉だ。
『お客様に接するときのお辞儀の角度や丁寧な言葉づかいはもちろん大事だけど、何よりも大切なのがマインド。人にはうまく言葉にできない思いがあるものだけど、それを相手に伝えよう、相手が何を伝えたいかを理解しようとする姿勢が大事なんだよ。そのマインドが欠けていると、お客様はすぐに見抜くよ』
「人と人とのコミュニケーションに必要なのは、ツールじゃなくて、相手がわかるように伝えよう、なんとかして相手のことを理解しようというマインドなんだということを、改めて実感しました。そして、それがビジネスにおいても求められているのだということも、手応えとして感じました」
一方、企業が自分たちの研修に何を求めているかがつかめずに、悩んだ時期もあった。「研修によって何が得られるのか、得たものはどう業務に活かせるのか、会社にとってどんなメリットがあるのか」という課題に向き合った。
「無言語コミュニケーションのワークは、全体的に満足度が高いんです。『貴重な体験だった』、『伝えるのではなく伝わることが大事なんだとわかった』などのポジティブなコメントを毎回いただきます。一方で、『とても良い体験ができたが、明日からこれをどう仕事につなげていくかは明確になっていない』というコメントも多い。研修での気づきをいかにアクションにつなげ、仕事の成果につなげるか、1回の研修でどこまでコミットするのか、という課題を解決するべく、研修をブラッシュアップしていきました」
相手を認め、自分を開示できたチームは、
仕事のパフォーマンスが上がる
2017年に「DENSHIN」と名称を改めた企業向け無言語コミュニケーション研修は、その後、導入する企業・組織が続々と増えていった。TBS、日本郵便、村田製作所、ヤマサ醤油といった大手企業から、大阪市、宝塚市といった自治体、同志社大学などの教育機関まで、現在では法人契約は60社あまりに上る。
研修内容は各企業・組織に合わせてアレンジしているが、ベースは「日常のコミュニケーションの棚卸し・無言語コミュニケーションの体験・振り返り(明日からどうするかを考える)」という3部構成になっている。聴覚障がいのあるスタッフが講師を務め、ときには司会まで務めることもある。
DENSHINが提唱するコミュニケーションの三大要素。「心=伝えようとする姿勢」「技=伝えるためのテクニック」「体=伝わるまで諦めない忍耐力」。
「ミスコミュニケーションの原因の多くが、"伝わるだろう"という自己中心的なマインドにあります。だから、"(伝えているのに)どうしてわからないんだ"となり、"どうせわかってもらえないから話さない"となり、コミュニケーションが欠如してしまう。チーム内や上司・部下間でありがちなパターンですね。無言語コミュニケーションを体験すると、ジェスチャーや表情といった言葉ではないツールを使って、なんとか自分のことを伝えよう、相手の伝えたいことを理解しようとします。そして、伝わらないとき、理解できないときは、相手が理解できるように伝えるためにはどう表現すればいいかなど、相手の立場に立って考えるようになる。このマインドが、非常に重要なんです」(桜井氏)
研修の受講者から「お互いの弱みを開示できるようになった」「これまでは、完璧を装うために、自分ができないことや弱みを隠すことに労力を使っていたが、自分の弱さを開示していいんだと感じた」「フラットなコミュニケーションができるようになり、チームビルディングが加速した」などの感想が寄せられるようになった。
「無言語コミュニケーションって、究極の無礼講なんですよね。年齢も立場も性別も国籍も関係なく、フラットになって伝え合うしかない。伝わったらハッピー、伝わらなかったらアンハッピー。とてもシンプルです。同等な立場に立って、相手を認め、弱みも含めて自分を開示することができたチームは、コミュニケーション力が上がって仕事のパフォーマンスも上がる。チームビルディングに役立った、ヒントになったというコメントは、毎回たくさんいただきます」(桜井氏)
"ポジティブな差別"を経て、聴覚障がい者が
社会で活躍するのが当たり前の世の中を目指す
さらにSilent Voiceでは、企業向け研修に加え、聴覚障がい者がいる職場に向けたインクルーシブマネジメントコンサルティングも行っている。聴覚障がい者と聴者とが共に働いているSilent Voiceのあり方そのものを活かした事業であり、導入企業では聴覚障がいのある社員への理解や昇進にもつながっているという。
企業を対象にした研修事業やコンサルティング事業を行う傍ら、「聴覚障がい者の社会参加が進まないのは、教育の選択肢が少ないから」と考え、教育事業を行うNPO法人Silent Voiceを2017年に立ち上げた。NPOでは、聴覚に障がいのある子どものための総合学習塾「デフアカデミー」を運営。株式会社とNPO
という2つの事業活動を通して、「聴覚障がい者の社会参加のパラダイムを変える」という挑戦を続けている。
「障がい者と呼ばれる方々は、社会的に区別され、企業内でも区別されて能力を活かしきれていない現状があります。障がい者に対する差別をやめようという雰囲気が拡がっているのは良いことですが、反面、"優しい差別"も生まれています。できないんでしょ、やってあげるよ、という行きすぎた支援ですね。"優しい差別"の次のステップが、"ポジティブな差別"です。例えば、左利きは昔はネガティブなものとして扱われていましたが、今ではかっこいいとか天才肌だとかいうポジティブなイメージになっていますよね。この"ポジティブな差別"を乗り越えると、ようやく当たり前の存在になるんです。まずは、聴覚障がい者の強みを社会にアピールし、聴覚障がい者への"ポジティブな差別"をあえて誘発する。そして、最終的には聴覚障がい者が社会で活躍するのが当たり前の世の中を目指したいと考えています」(桜井氏)
聴覚障がい者が「できないこと」に目を向けるのではなく、聞こえないからこそ発達したコミュニケーションのマインドに目を向け、事業化したSilent Voice。インクルーシブな社会の実現への挑戦は今後も続く。