仕事のプロ
2017.02.06
大塚グループ各社元社長大塚正士氏のトップとしての決断〈前編〉
事業へのあくなき挑戦と人心掌握術
大正10年、徳島県鳴門市に医薬原料製造の町工場として創業し、今では日本有数の医薬品、栄養食品メーカーに成長した大塚グループ。2代目社長の大塚正士氏は、戦後の混乱が続く昭和22年に父親から会社を引き継ぐと、新規事業を次々と立ち上げ、数多くのヒット商品を生み出してきたが、その一つに大型の美術陶板があること知る人は以外と少ないだろう。世界の名立たる美術館から高い技術力を認められ、世界的名画の美術陶板を制作する「大塚オーミ陶業株式会社」の設立から現在に至るまでの歩みには、大塚正士社長の先見の明と確固たる信念があった。昭和のイノベーター大塚正士氏の経営哲学について、大塚国際美術館 常務理事の田中秋筰さんに話を伺った。
「若い社員を鍛え導く」
大塚社長の社員教育
新規事業も積極的に展開し、経営感覚に優れた大塚正士社長は「社員をとても大事にする人で、社員を育てる人」でもあった。「その分、厳しいこともたくさんあった」と田中さんは言う。田中さんが入社して2年目のエピソードを教えてくれた。
「昭和45年にアース製薬への経営参加が決まったころ、副工場長とアース製薬の坂出工場の土地を見に行くことになり、平社員だった私は気楽に受け止めて随行しました。目当ての土地は3,300坪の工場跡地で、管理人の案内で見て回り、現地の情報を聴取して帰ってきました。その足で、副工場長と社長宅に伺ったところ、社長からの質問はすべて私に向けられ、『土地の面積は? 周辺の状況は? 用途指定は?』など集中砲火。調査不足で満足に答えられず、惨めな思いをしました。『明日もう一度坂出に行ってこい』と言われた私は、父親に土地の調べ方を聞き、市役所で土地の面積や地盤を調べ、法務省で土地家屋の謄本と公図を手に入れるなど、土地に関する考え得る限りの情報を集め、夜遅く会社に戻って社長に報告しようとすると『報告は総務部長にしておいてくれ』と一言。その数日後にアース製薬への出向が決まり、全国にあるアース製薬工場の土地調査担当を言い渡されたのです」
「この時初めて、上司から言われたことだけをするのではなく、自分で考え行動する、という大塚正士社長の『若い社員を鍛え導く』教えに気づきました。あの時の社長の叱責があったから、今の私があると思っています」
また田中さんは、「部下への指示はポイントだけを伝えればよい。手取り足取り教える必要はない」と、大塚社長から言われたという。任せられた社員は一生懸命考え、調べ、仕事を覚えていくことで成長する。
まったくの異分野である大型タイルの製造に関わった大塚化学の技術者も同様に、社長から任され、切磋琢磨しながら技術力を高めていったにちがいない。一人ひとりが「自分で考え、行動する」大塚正士社長の教えが、新規事業をゼロから生み出し、その技術力を可能な限り高めていく、技術者のモチベーションを支えていた。
大塚国際美術館(OTSUKA MUSEUM OF ART)
大塚国際美術館は、日本に居ながらにして世界の美術を体感できる「陶板名画美術館」です。古代から現代に至る、西洋美術史を代表する名画1,000余点を、陶板で原寸大に再現し、展示しています。約4㎞におよぶ鑑賞ルートには、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』、ゴッホ『ヒマワリ』、ピカソ『ゲルニカ』など、美術書などで一度は見たことがあるような名画を一堂に展示しており、世界の美術館を味わうことができます。