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ビジネスに役立つ哲学
評価について
ビジネスに役立つ哲学7:評価とは何か
「評価が気になりますか? 」と聞かれて「気にならない」と答えられる人は少ないだろう。なぜなら私たちの人生は、他人からの評価や自身への評価によって多くのことが決まってきたから。今の会社を選んだのも、入社できたのも、今の役職に就いているのも、すべて評価の結果。だからこそ評価を気にしすぎていないだろう?
評価を背負うということは、責任も一緒に背負うということ 評価を望むより、まずはその覚悟をもつことです
まずは、「評価」にまつわるこんな寓話を紹介しましょう。 二匹のロバが歩いていました。一匹は麦を積んでいます。もう一匹はお城への貢物を背負っています。もちろん貢物は金銀財宝。 さて、貢物を背負っているロバのほうは、その貢物を自分そのものと思い込んでしまいます。その歩きっぷりも自信満々、足も高く上げ、鈴の音まで立派に鳴らします。 そこへ現れたのが盗賊たち。一目で積み荷の価値を見抜きます。貢物を背負ったロバにいっせいに飛びかかり、逃げようとするロバを剣で刺し殺してしまいました。 さて、評価はたしかにあなたが背負っているものです。しかし、それはあなた自身ではありません。その評価に胡坐をかいて、ふんぞり返ったり、舞い上がったりしていませんか?背負っている評価を下ろしたとき、あなたはどんな人物として周りの人たちの眼に映るでしょうか。 そして、評価を背負うということは、それだけ責任も一緒に背負うということです。評価を望むより、まずはその覚悟をもつことが先決でしょう。もし、たまたま、身に過ぎた評価を背負わされてしまっていたら、それはすぐにでもお返ししたほうが良いでしょうね。 なぜなら、貢物を背負ったロバのように、いざというときに評価によってあなたが不運にみまわれることもあるからです。 反対に、評価が望むものより小さいという不満も不要です。麦を積んだロバは、無事に任務を果たすことでしょう。そして、彼には適切な評価が与えられるのです。身の程の評価は必ず後からついてきます。そんな評価こそ、あなたを安心させるものだと思いませんか?(ラ・フォンテーヌ)
他人に対して誠実な評価をすれば、あなたも誠実に評価される
評価には、合理的な側面があります。個人的な印象や感想という曖昧なものを、誰もが理解し共有しうる尺度で示すことができます。しばしば、評価を数値で表しますが、これはいい例でしょう。まさに、印象を可視化しているのです。 さらに、評価には理由が必要です。どのような評価にも「なぜそうであるのか」といった説明が不可欠。そうでなければ、またもや曖昧なものになってしまうでしょう。 さて、ここからが大切なところです。 あなたはこれまで、どのような評価を受けてきましたか? 例えば、輝かしく飛び抜けた評価を受けたことがあるかもしれません。あるいは反対に、取り返しのつかないほど恥ずかしい評価を与えられたことがあるかもしれません。 いずれにせよ、そんな評価に執着することはないのです。どれほど不動の評価を得たところで、あなたの努力を讃えるものではあっても、永遠不滅のものではありません。むしろ、立派すぎる評価が障害になってしまうことを、わたしは知っています。これが評価のマイナス面です。 不滅のように見える評価でも、徐々に変化しているのです。問題は評価とどのように付き合うか、ということになるでしょう。 まずは、他人に対して誠実な評価をしなければなりません。そうすれば、あなたにも同じ程度に誠実な評価がされるはずでしょう。不当な評価をされたとしたら、あなたもまた同じ程度に不当な評価をしているはずです。 最も大切なのは、他人からの評価がたとえ不当であったとしても、その評価を乗り越えられるだけの志をもつことです。評価は一過性のものですが、志は評価の程度に関わらず、あなたを常に支えてくれるものなのです。(パスカル)
自己評価というものは、自分を過度に大きく見せたり、過度に小さく見せたりするものだ
評価か......。厄介だが見逃せない問題と言えるだろう。 私は評価そのものを否定しない。だが、自己評価なるものは徹底的に排除すべきだろう。 自己評価などで、その人の本領がわかるはずはない。自己評価というものは、自分を過度に大きく見せたり、過度に小さく見せたりするものだ。鏡を使わずに自分の目で自分を見ることなどできるはずがないからだ。 自分というものは、自己防衛のために最高の策略を生み出してしまうものなのだ。過大評価も、過小評価も、自己防衛のために自ら生み出す戦略であることをまずはわきまえろ。 さらに、他人の評価というものも全く当てにならない。ここにも他人という「自分」が混在してしまうからだ。上司、同僚、家族、友人。あなたを取り巻く他人達が、一切の「自分」を介入させることなくあなたを評価できるはずがない。 どれほど有能な上司でも自分にとってのあなたを評価するだけだ。家族も同様だ。家族にとってのあなたしか評価できない。 では、どうすればいいのか...?一つだけ助言しておこう。 「誰の評価を大事にしているのか? 」これだけだ。 どの評価にも評価者の「自分」が混在する限り、誰が評価者であり、あなたにとってその人はどんな人なのか、ということに帰着するはずだ。あなたには師と呼べる者はいるか? 師がどれほど身勝手な評価をしようが、あなたが信頼する師である限り、それはあなたにとって大事な評価となるだろう。 あるいは人生のパートナーでもいい。そのパートナーの評価は、国家が保証するレベルの評価より、あなたにとって意義あるものになるはずだ。(ラ・ロシュフコー)
大竹 稽 (Ootake Kei)
教育者、哲学者。1970年愛知県生まれ 旭丘高校から東京大学理科三類に入学。五年後、医学と決別。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究した。専門は、カミュ、サルトル、バタイユら実存の思想家、バルトやデリダらの構造主義者、そしてモンテーニュやパスカルらのモラリスト。編著書『60分でわかるカミュのペスト』『超訳モンテーニュ』『賢者の智慧の書』など多数。東京都港区や浅草で作文教室や哲学教室を開いている。
大竹稽HP https://kei-ohtake.com/
思考塾HP https://shikoujuku.jp/