ブックレビュー
人類学書『チョンキンマンションのボスは知っている』から「助けあい」の本質を知る
働く人の心に響く本:誰かを助ける時に心がけている一冊
誰かを助けるとき、立ち止まって考えてほしいのは助けられる側の気持ち。アクサ生命保険の代表取締役社長の安渕聖司さんが、「助けあい」の本質を知り、気軽に助けることができるようになったと語る一冊が『チョンキンマンションのボスは知っている』だ。
助けられる人が負い目を感じない 気楽な助け方
今回の一冊を紹介いただいたのは、GEキャピタル・ジャパン、ビザ・ワールドワイド・ジャパン、アクサ生命保険の社長を歴任してきたビジネス界のリーダーである安渕聖司さん。人の命を助ける医者の父、身体障害者を支える仕事をする母、そして自身がボーイスカウトだったこともあり、幼い頃から身近なところに「助ける人」と「助けられる人」という存在があったといいます。 安渕さんが、『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社)を選ばれた理由の一つは、未知の組み合わせの衝撃的な面白さ。本書は香港と中国本土にさまざまな商品を仕入れに渡航する、アフリカ系商人たち(特にタンザニア商人)の交易活動を深く研究している日本人人類学者のフィールドワークをまとめたものです。 安渕さんが特に衝撃を受けたのが、本書で語られているタンザニア人の助けあいのネットワーク。日本で暮らし、ビジネスパーソンとして働いている安渕さんの常識を裏切ることだらけでしたが、そこには、助けあい(=ギフト)の呪縛を軽々と越える、助けられる人が負い目を感じない気軽な助け方のヒントがたくさん詰まっていたのです。 『チョンキンマンションのボスは知っている』(著者:小川さやか 春秋社)
タンザニア商人が作り上げた、 「ついで」の助けあいネットワーク
本書で紹介されている、タンザニアの行商人や露天商、路上商人などの零細商人たちの「助けあい」について、特に安渕さんの印象に残ったこととして次のように語っています。 「タンザニア人の香港におけるネットワークは、密接で濃厚な助け合いの精神に満ちているように見えて、実はお互いを『信頼できない』と言い切る人たちの集まり。信頼できないと言いながら、自分の部屋に見知らぬ若者を泊め、食事を奢り、お金まで貸す人々のネットワークというのが、あらゆる常識を裏切る存在。 タンザニアメンバー(ネットワーク)は次々に入れ替わり、誰かの面倒をみたからといって、直接の見返りが得られないことも多く、また直接の見返りを求めることもしない。このネットワークがどうやって作られているのか、とても不思議。日本の同郷意識とも異なり、あくまで貸し借りの関係」 信頼関係もなく、見返りもない。それでも互いに助けあうのはなぜか? タンザニア人の助けあいの仕組みが本文中にこう記載されています。 『誰もが「無理なくやっている」という態度を押し出しているので、この助けあいでは、助けられた側に過度な負い目が発生しないのである』 『他者の「事情」に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人々がそれぞれの「ついで」にできることをする「開かれた互酬性」を基盤とすることで、彼らは気軽な「助けあい」を促進し、国境を越える巨大なセーフティネットをつくりあげているのである』
日本の贈り物文化に潜む 返礼プレッシャー
また、本書を通して安渕さん自身があらためて気づいたことや、日本人として考えさせられる部分もあったという。 「日本には、贈り物を受け取った際の返礼ルールがあるくらい、負い目の押しつけ合い(返礼プレッシャー)が往々にしてあり、ギフトの呪縛にとらわれがちだ。一方、タンザニア商人は、軽々とこれを越えている。しかしよく考えてみると、日本にも似たような考え方とか慣習があったことを思い出す。『近所まで来たのでたまたま寄った』『もらい物のおすそ分けなのでお気遣いなく』『余らせても仕方ないので食べてください』といった言葉はすべて、負い目(返礼プレッシャー)の軽減が目的だったような気がする。 日本で廃れかけているこのような習慣が、なぜかタンザニアでは当たり前にある。日本の方がせせこましく、タンザニアの方が余裕とゆとりがあるように感じるのはなぜだろうか......」
利己的な利他を越える 軽やかな助けあいに溢れる未来社会へ
子どもの頃から助けあいが身近にあった安渕さんにとって、社会とは人と人のつながりそのもの。にもかかわらず、助けあいが起きづらい現代社会に違和感があるといいます。人を助けたいと言いながらも、お礼も言われず、自分がぞんざいに扱われると怒ってしまう......。そんな利己的な利他も、安渕さんが考える助けあいとは違うといいます。 あるとき、安渕さんがスナックでお金を支払おうとすると、ママがこう言ったそうです。 「全部は払わないでね。ちょっとお勘定が残っていると、関係性が続くから私は嬉しいの」と。安渕さんはそのママの言葉に感動し、その場限りで関係性を清算してしまうのではなく、人と人が繋がり続けることを大切にしたいとあらためて思うようになったそうです。そして、「タンザニア人が実践する"ついでの助けあい"から学ぶことで、私たち日本人の助けあいをアップデートできる」と熱く語ります。 「助けあいとは、貸し借りや取引といったビジネスライクなものではないんです。負い目を押し付けずに助ける人が増えると、助けられる人も軽やかになり、助けてもらいやすくなる。私たちはもっと気軽に助けて、気軽に助けられるようになるはずです。助けあいが増えていくと、失われている人と人とのつながりが戻ってくる......。そうやって助けあいに溢れた未来をつくっていきたいんです。」 安渕さんはビジネス界のリーダーとして慕われ、これまでいくつもの会社の経営者として成果を挙げてこられました。その秘訣の1つは、この「気軽に助け、助けられる関係性づくり」にあると感じます。安渕さんの描く、軽やかな助けあいが溢れる社会にむけて、私たち一人ひとりも「気軽に助ける」を実践していきませんか。
安渕 聖司(Yasubuchi Seiji)
アクサ生命保険株式会社 代表取締役社長兼CEO。1979年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、三菱商事株式会社に入社。東京、仙台、ロンドン勤務を経て、90年ハーバード大経営大学院修了。99年から、リップルウッド・ジャパン株式会社エグゼクティヴ・ディレクター、UBS証券会社マネージングディレクター、GE コマーシャル・ファイナンス・アジア上級副社長を経て、09年GE キャピタル・ジャパン社長 兼CEO、17年ビザ・ワールドワイド・ジャパン株式会社代表取締役社長を歴任、19年より現職に就き現在に至る。兵庫県神戸市出身。
阿部 裕志(Abe Hiroshi)
「海士の風」を運営する株式会社風と土と代表取締役。トヨタ自動車の生産技術エンジニアとして働くが、現代社会のあり方に疑問を抱き、持続可能な社会のモデルを目指す2200人の島・海士町に2008年移住、株式会社巡の環(現:風と土と)を創業。船と漁業権をもち、素潜り漁にいくのが島暮らしの楽しみ。
海士の風(あまのかぜ)
辺境の地にありながら、社会課題の先進地として挑戦を続ける島根県隠岐諸島の一つ・海士町(あまちょう)。そんな町に拠点を置く「海士の風」。2019年から「離島から生まれた出版社」として事業を開始。小さな出版社なので、一年間で生み出すのは3タイトル。心から共感し、応援したい著者と「一生の思い出になるぐらいの挑戦」をしていく。