仕事のプロ
北欧に学ぶスマートシティ推進のポイント〈前編〉
取り組み成功のベースにあるのは市民の責任感
ICTなどの先端技術を活用して社会・生活・産業のインフラやサービスを効率的・効果的に運用し、人々の生活の質を高め、持続的な経済発展を目指す「スマートシティ」施策が、世界各地で進められている。中でも「人間中心のウェルビーイングなまちづくりを実践している」と高く評価されるのが、デンマークなど北欧のスマートシティだ。北欧のスマートシティ政策成功の要因について、北欧研究所代表でありデンマーク・ロスキレ大学准教授も務める安岡美佳さんにお話を伺った。
北欧流スマートシティの 特徴は「さりげなさ」にある
スマートシティ化の取り組みは現在、日本やアメリカ、中国など世界各地で実践されている。それぞれの国・地域が「何を課題と考え、どんな都市を目指すか」によって、採り入れるテクノロジーも、実際につくられる都市の景観もそれぞれ変わってくる。 では、北欧のスマートシティは具体的にどんなものなのか。コペンハーゲン在住歴が約15年の安岡さんは、「例えばコペンハーゲンの街を眺めても、スマートシティを実感できる要素はほとんどない」と語る。 「正直、ドローンやロボットが街中で見られるわけでもなく、見た目は私が住み始めた頃とそれほど変わりません。変化したのは、毎日の生活がデジタルやテクノロジーに支えられて非常に便利になったことです。このさりげなさが北欧のスマートシティの本質といえるかもしれません」 安岡さんが北欧で暮らすようになった2000年代からの北欧のスマートシティの取り組みと具体的な変化は大きく3つ。
個人情報のデジタル化で各種手続きが自宅で簡単にできる
安岡さんが暮らすデンマークはじめ北欧諸国では、2010年頃から個人情報のデジタル化が急速に進行したという。 「デジタル化によって特に市民が恩恵を感じたのが、行政手続きではないでしょうか。現在の北欧諸国では、転居や結婚といった戸籍関係の届け出は基本的に市民がオンライン上でおこないます。利用者が市民ポータルサイトにアクセスし、1人ひとりに用意されたマイページにログインして、変更内容を自身で入力するのです。そもそも個人情報自体も、市民が自分で入力する仕組みになっています。デジタルツールを使うのが苦手な人にとっては不便かもしれませんが、手続きのために役所の窓口へ足を運ぶ必要がなくなったのは、やはり大きなメリットと言えるでしょう」
ウェルビーイングやサステナビリティ重視の都市づくり
北欧のスマートシティでは、サステナビリティ(持続可能性)や市民のウェルビーイング(肉体的・精神的・社会的に満たされた状態)を推進する取り組みも多数実践されている。再生可能エネルギー活用や自然環境保全をテーマにした都市開発がおこなわれ、フードロス削減やよりよいヘルスケアを実現するためのアプリが続々と生まれて市民に活用されている。
テクノロジーによって支えられた生活
街の景観には変化がなくても、市民の生活は多種多様なテクノロジーに支えられている。一例として安岡さんが挙げるのが「ゴミ収集のシステム」だ。 「日本の都市ではゴミ収集車が当たり前に走っており、朝の交通渋滞の一因になることもあります。しかし北欧諸国では、街中で収集車を見かけることはほとんどありません。なぜなら街のあちこちにダストシュートがあり、市民が捨てたゴミは空気圧で郊外の集積所に運ばれるからです。つまり、収集車が街中のゴミ置き場を回る必要がないのです」 住民の目には街中のダストシュートしか映らないかもしれないが、このゴミ収集システムには工学をはじめさまざまなテクノロジーが駆使されている。「さりげなくテクノロジーに支えられている生活」が、北欧におけるスマートシティのあり方と言えるだろう。
「どうありたいか」を追求する国民性が スマートシティ進展の原点
ではなぜ、北欧のスマートシティは現状のスタイルに行き着いたのだろうか。安岡さんが最大の理由として指摘するのは、「北欧の国々が福祉国家だから」という意外な理由だった。 「福祉国家とは、簡単に言えば『みんなが幸せに生きられるような、平等な社会を実現する国家』です。2000年代の北欧諸国は、少子高齢化や第1次・第2次産業の衰退といった課題に直面し、労働人口や税収の減少が危惧されていました。そこで、福祉国家を維持するために北欧諸国の市民は、人材不足対応策を検討しました。そして、コンピュータに任せられる部分は任せる、そのためにデジタル化や効率化を進める道を選んだわけです。 また、『今後自分たちはどうありたいか』『どんな社会をつくりたいか』を議論しながらウェルビーイングやサステナビリティ関連の技術を開発し、新しいビジネスを開拓していったのです」 なお、北欧諸国では子どもが就学する前から「あなたはどうしたいの?」「人の役に立つにはどんなことができる?」と徹底的に問いかけ、アクティブラーニングを通じて自立の精神を育む教育を実践している。 「『どうありたいか・どうあるべきか』を自らじっくり追求する国民性も、現在のスマートシティを形成する原点になっていると感じます」
考え抜かれたリソース投入で 市民を巻き込み、取り組みを推進
北欧諸国は日本に比べて人口が少なく、コア産業が限られているため、スマートシティ化のための予算も人材も限られている。だからこそ、「どこに力を入れるか」を考え抜き、効果的にリソースを投入することが求められた。結果として北欧では、市民間のヒューマンネットワーク構築やデジタル化推進のための学術研究などに思い切って資金を割り当てた。 「例えば個人情報のデジタル化を進めるには、大多数の国民に自分のデータを入力してもらう必要があります。そこで政府は、国民が自ら協力したくなるよう、『情報は自分が管理するもの』という意識を個々人に持ってもらうための仕掛けを組み込みました」 個人の基礎情報や税務、医療記録などはそれぞれデータベース化されているが、例えば税務局の担当官がある市民の社会保障情報を閲覧したい場合、その人の許可を得ずに勝手に情報を見ることはできないのだという。 「その人の許可を得るプロセスを加えることによって、市民の中に『自分は責任を持って情報を管理しているのだ』という当事者意識が育つわけです。心理学のさまざまな知見を採り入れた、実に巧みな手法だと思いますね」
データのオープン化が 産学官民の連携をスムーズに
北欧諸国ではスマートシティ化が順調に進展し、各国が国勢調査などによって収集した各種の統計データなども蓄積され、WEBで公開されている。データは誰もが利用できるため、民間企業などでも活用されている。例えば不動産会社などが自社のサイトに住宅情報を載せる際に、政府が公開しているその地域の犯罪率データなどを付加価値として掲載したりすることがあるという。 「社会の基礎となるデータが広く使えるようになっていることは、北欧の優位性につながっていると思います。ただし、データのオープン化に対しては、まだ課題も残っています。例えばデンマークの場合、国が収集したオープンデータは統計局がメンテナンスし、定期的にアップデートして活用しやすい形に整えていますが、民間企業がそれぞれ収集したデータはまだまだオープンになっていない状況で、各データの公開などは今後取り組むべきテーマです。データのオープン化は産学官民の連携につながり、イノベーションもより生まれやすくなるでしょう」 北欧諸国のスマートシティは、市民たちの「生活を便利にし、持続可能な、人中心のまちをつくる」という意図のもとに発展した。ただしそれだけではなく、市民を巻き込む仕掛けを政府が巧みにつくったことも、大きな成功の要因といえそうだ。 後編では、日本で実践されているスマートシティの取り組みをよりよいものにしていくためのポイントを、安岡さんに伺っていく。
書籍紹介
『北欧のスマートシティ テクノロジーを活用したウェルビーイングな都市づくり』著者:安岡美佳/ユリアン森江/原 ニールセン(学芸出版社)
安岡 美佳(Mika Yasuoka)
デンマーク・ロスキレ大学准教授、北欧研究所代表。コペンハーゲンIT大学助教授、デンマーク工科大学リサーチアソシエイツ等を経て現職。2005年に北欧に移住。「人を幸せにするテクノロジー」をテーマに、スマートシティやリビングラボなどの調査・研究に取り組む。会津若松市スーパーシティ構想のアドバイザーも務める。2022年に『北欧のスマートシティ テクノロジーを活用したウェルビーイングな都市づくり』(ユリアン森江 原 ニールセン氏との共著;学芸出版社)を出版。