レポート
ワークプレイスの空気をデザインする
サステナブルなオフィスを目指して
世界的にサステナビリティ(持続可能性)がトレンドになり、国内でも重点課題として取り組む企業が増えている。また、サステナブルな視点は、企業の本丸であるビジネスにおいて不可欠であると同時に、拠点となるオフィスにおいても求められるようにもなっている。今回は、「サステナブルなオフィス」をテーマに、環境整備エンジニアとして国内外で活躍する蒔田智則さんをゲストに迎えたイベントの様子をレポートする。
いい空気の中で過ごすことで、生産性も健康状態も向上する
日本大学理工学部で土木工学を学んだのち、イギリスの大学院で歴史的建造物の保存改修の修士号を取得した蒔田さん。その後、デンマーク工科大学院にて建築工学を学びました。現在は、サステナブルな建物づくりのコンサルティング行う「ヘンリック・イノベーション(henrik-innovation)」に所属し、環境設備エンジニアとしてデンマークを中心に広く活躍しています。近年は日本での活動機会も増えており、複数の建築プロジェクトに携わるほか、日本エコハウス大賞の審査員なども務めています。
――「環境設備エンジニア」とはどのようなお仕事なのでしょうか?僕たち環境設備エンジニアは、あらゆる場所の空気をデザインしています。いわば、「空気のデザイナー」ですね。 ところで、人は1日に何時間、完全な屋外にいるでしょうか? 一般的に、平均約2時間と言われています。つまり、1日の90%以上の時間を屋内空間で過ごし、そこの空気を吸っていることになります。 また、人は1日に約18kgもの空気を吸っています。普段、空気について考えることはあまりありませんが、空気は私たちにとって大きな影響力をもちます。温度・湿度、二酸化炭素濃度、明るさ、音や臭いなどにおいて快適な数値を維持した、いわゆる"良い空気"の環境で過ごすことで、生産効率は約10%高まり、病欠は約35%減り、約46分長く眠れるようになると言われています。もちろん、それ以外にも健康で快適なオフィススペースに様々なメリットがあると言われています。 また、生産効率が上がれば経済的な効果も見込めます。締め切ったミーティングルームで大人数で1時間会議をしていると、空気が澱んで頭がボーッとしてきますよね。良くない空気というのは、あれです。空気は、オフィスを考えるうえで、実はとても大事な要素なのです。
――蒔田さんはこれまで、デンマークの高齢者向け集合住宅や日本の板金工場の改修工事などさまざまな案件に携わってこられました。環境設備エンジニアとして具体的にどのようなことを考え、提案されてきたのでしょうか?デンマークの高齢者の集合住宅では、中庭を住民が行き交いコミュニケーションをとる場所、楽しめる場所にしたい、そのためにも年間を通して地中海のような通年を通して温暖な環境にしたいという要望がありました。 そこで僕たちは、データ解析ツールを活用して、天窓やガラスの高さや機密性、結露やカビの状態、光の明るさ、湿度・温度、花や植物の匂い、床やタイルの状態などについて快適性を追求。デンマークの寒い冬でもそんなに寒くもなく、季節をやわらかく感じて快適に過ごせる空間をつくりました。
©henrik-innovationまた、日本の板金工場については、換気や冷暖房の状態、人工照明と自然光のバランス、ゾーニングなどについてデータを集め、デジタルモデルを作りました。そのモデルにその土地の気候データを加えることでデジタル上で実際と状態を再現。1年間、毎日24時間を通して何が起きているかを解析する、デジタルツインという手法を用いました。
©henrik-innovation ――携わった案件について、建物やスペースの運用開始後に新たな要望が出ることはあるのでしょうか?もちろんあります。例えば、先に述べた高齢者の集合住宅では、実際に使い始めてから「窓が結露してしまう」という声が届きました。窓を開ける仮定で計算していたけれども、実際使用する高齢者たちは、窓を開ける習慣がなかったり、冷たい風が億劫で開けなかったりしてしまう。 そこで、1時間ごとに10分間、ちゃんとエントランスの窓を開けるというルールを設定してもらい、換気をするようお願いしました。 大事なのは、テスト・アンド・エラーを繰り返すこと。最初からパーフェクトを目指すあまり躊躇するよりは、まずはやってみることです。そのうえでチューンナップを重ねればいいんです。想定外のことが見えてくることは多々ありますから。
太陽光や風などの自然の力を使い、 快適でサステナブルな空間をつくる
――蒔田さんが空気をデザインする際に重視しているのが、自然の力を使って快適な空間をつくる「パッシブデザイン」。これは、具体的にどのようなものなのでしょうか?人間は本来は自然に囲まれて生きてきました。朝の青っぽい光を浴びたら目が覚め、夕方の赤っぽい光に包まれると眠くなるように、人間の身体のリズムも本来は自然に近いものです。 パッシブデザインとは、太陽の光や熱、風、地熱、水といった自然の力を使い、冷暖房などの機械や電気を極力使わず、お金もかけないように空気をデザインする、サステナブルな手法のことです。さまざまな制約がある屋内であっても、できるだけ屋外に近い空気を実現することを目指しています。
©henrik-innovation ――パッシブデザインを実践するにあたってのポイントを教えてください。大きく2点あり、建築の初期段階から環境設備エンジニアがプロジェクトに入ること、そして、デジタルツールを活用することです。 一般的に、いままでの空調設備エンジニアには設計も終わった段階で図面が渡されて、ここに空調を入れてほしい...などと依頼されるケースが多いんですよね。この段階では、予算や工期の関係もあり、パッシブデザインに基づくサステナブルなアイデアを提案することは難しくなります。 大事なのは、建築プロジェクトの初期段階から環境設備エンジニアが携わり、サステナビリティのコンセプトを落とし込むこと。できるだけ自然の光、熱、対流を活かし、足りない部分を冷暖房や換気扇といった機械で補う...とするためには、建築の最初のプログラム(=要件整理)から関わることが不可欠なのです。 また、パッシブデザインの実践にはデジタルツールの活用も不可欠であり、僕が所属するヘンリック・イノベーションではこれを積極的に取り入れてきました。 同じ場所でも夏と冬で気候はどう違うか、光や風、温度や湿度はどうか、屋内の風の流れはどうか...といったデータを解析して快適性を追求する環境アセスメントを実践しています。 一方、解析と実態にはギャップがあることもあります。快適性は人により感じ方が異なりますし、そこは注意するようにしています。
――作る側にも依頼する側にもサステナビリティの意識がないと、パッシブデザインは採用されません。サステナビリティに関心のない施主には、その重要性をどう伝えればよいとお考えですか?サステナビリティへの意識が低い場合は、長期的なコストで見せるのも一つの手ですね。 イニシャルコストが多少かかっても、サステナブルなものであればランニングコストを抑えることができます。イニシャルコストの上昇を何年間でペイバックできるか?これを具体的な数字として提示して、説得することが多いですね。 特に昨今はエネルギー価格が高騰しており、広いオフィスなどの場合はランニングコストがかなり変わってきますので、納得してもらえるケースも増えています。 サステナビリティへの意識が高い印象のあるデンマークですが、もとから高かったわけではありません。70年代のオイルショックから80年代には風力発電への大きなエネルギーの転換を図ったあたりからサステナビリティの意識が高まったと思っています。その中で、小さな成功体験を重ねながらサステナビリティが熟成しているんだと思います。 たとえば、コペンハーゲンの中心を流れる運河ですが、1980年代には汚れて匂いもひどく、泳げる状態ではなかったそうです。もちろん魚貝類や海藻植物などもほぼ死滅していました。そこからスタートし、徐々に時間をかけてきれいにしていった結果、海洋資源が戻ってきたことはもとより、人々が泳いだりカヤックなどのマリンスポーツが楽しめるようになりました。運河沿いのエリアは、以前はあまり人気の高エリアではなかったですが、今では人気エリアとなり、地価がどれくらい上がったのかわからないぐらいです。 これは一つの例ですが、そういった事例が数多くあります。この様に、デンマークでは長い時間をかけて徐々に市民の意識が高まっていったのだと思います。今では、サステナビリティのコンセプトがない商品やサービスは売れないし、建築のコンペでもサステナブルなアイディアなしでは勝てません。
組織を超えたパートナーシップで、 日本ならではのサステナビリティの実現を
――日本における課題解決については、どうお考えでしょうか?日本には日本に合ったサステナビリティがあると思います。たとえば、ゴミの分別区分が細かく決められているなど、日本は他国よりも先進的な部分もあり、一概に遅れているとも言えません。 一方、足りていないのが組織を超えた協働・共創です。日本には大きな企業がたくさんあり、それぞれが優れた技術や知識、経験をもっていますが、組織を超えたパートナーシップを組むことが難しいように感じています。これを実現することで、環境問題へのアプローチを変えていくことができるのではないでしょうか。 私が携わった国内の事例をいくつかご紹介しましょう。 パートナーシップにより実現した一例が、三重県いなべ市のグランピング施設「Nordisk Hygge Circles UGAKEI」です。デンマーク、イギリス、日本の会社によるコラボレーションプロジェクトで、日本の自然を活かしたマテリアルと北欧のデザインが融合した美しい建築物に仕上がりました。 冬でも太陽光が入るよう、かつ、庇を設けることで夏の強い日差しをブロックするようにデザインされており、ダクトやエアコンは全て隠しています。そうすることで利用する人は、光、風、空気そしてデザインをより直接感じられると思ったからです。この美しい天井を空調ダクトを汚してしまいたくなかったんです。
Nordisk Hygge Circles UGAKEI Nordisk Hygge Circles UGAKEIまた、高層ビルが多い都会で二酸化炭素排出量の削減を図るために、既存のコンクリート構造の間に木製のスラブを組み込み、排出量を約25%削減した事例もあります。
©henrik-innovation ――よくあるのが、「見た目が悪くなるからこれはつけたくない」「デザインよりも機能性重視だ」と、デザイナーとエンジニアがぶつかるケース。そういうとき、蒔田さんはどうされていますか?デザイナーとエンジニアは「水と油」のように相入れないと言われることがありますよね。デンマークでもそういう関係性は少なからずありますが、僕らはお互いの話に耳を傾け、オープンにディスカッションをして柔軟に対応しています。これまでに、意見がぶつかり決裂した経験はありません。
――現在は、どのような案件に取り組まれているのでしょうか?1600年代に建てられた歴史的建造物のリノベーション案件に携わっています。 デンマークでは、建築基準法でワークスペース空間の明るさや快適性などにきちんとしたルールがあります。その一方歴史的建築物もその保存のルールが厳しく勝手に窓の大きさを変えたり屋根の外装を変えることもできない。窓の近くの明るいエリアを優先的に執務スペースにするなど工夫しながら、現在のルールに合わせて屋内空間をリノベーションするという課題に挑戦しています。
サステナビリティを考えるというと、業務が追加されるなど面倒なことが増えるイメージがあるかもしれませんが、決してそうではありません。ものづくりや空間づくりにサステナビリティのコンセプトを加えることで、そのものや空間はより楽しく、より愛されるようになります。 繰り返しになりますが、大事なのはパートナーシップで問題を解決しようとすること。自分たちには何ができるかを伝え合い、それぞれがもつ知見を活かし合いながら、チームになってより良いもの、よりサステナブルなものを生み出していけたら素敵だなと思います。
蒔田智則(Makita Tomonori)
環境設備エンジニア。新卒入社した会社を早期退職後、渡英して大学院に進学。歴史的建造物の保存や改修について学ぶ。ロンドンでリノベーション会社に就職後、デンマーク人との結婚を機にデンマークへ移住。デンマーク工科大学院にて建築環境工学修士課程を修了。2017年より現在の職であるhenrik-innovationに参画し、エネルギーデザインの視点からさまざまな建築プロジェクトに携わる。デンマークを中心に活動し、三重県・いなべ市のキャンプサイト「Nordisk Hygge Circles UGAKEI」のデザイン・建築に携わるなど、日本での活動も増やしている。