組織の力

2018.09.19

不妊治療と仕事が笑顔で両立できる社会へ

企業の妊活サポートを後押しする

不妊の悩みは一人で抱え込む女性が多いうえ、治療によって体調面やメンタル面、経済面で大きな負荷がかかることはあまり知られていない。仕事との両立を困難に感じ、理由を告げずに離職する人も少なくない。このような状況の解決に向けて、当事者女性を支援するWEBメディア運営を行う傍ら、企業向けの研修やセミナー、講演などを行い不妊問題の周知活動に力を尽くす株式会社ライフサカス代表の西部沙緒里さんに、日本における不妊問題の現実や、不妊問題と向き合い始めている企業のサポート状況についてお聞きした。

企業が不妊問題に
課題意識を持ち始めている
 株式会社ライフサカスは、メンバー6人のうち4人は不妊治療経験者。その特色を活かして、企業や学校、自治体に向けて不妊治療をテーマに組み入れた講演活動やセミナー、参加型ワークショップなどを行っている。特に最近は、企業からのオファーが少しずつ増えているという。その状況について西部さんは次のように語る。
「多くの企業では近年、マネージャー職にある三十代後半から四十代前半の女性が辞職する事態が生じ、不妊や妊活を見過ごせない企業課題としてとらえ始めています。経験を積んだ働き盛り人材を手放さないために、社員が『ライフ』において妊娠を望むなら企業もサポートする、という考え方ですね」
とはいえ、企業は長らく「妊活・不妊は個人のイシュー」という立場に立ってきたため、不妊治療に取り組む女性に向けてどんなサポートをどこまでしていけばいいのか試行錯誤している。そこで、まずは経験者の生の声を聞くため、ライフサカスにヒアリングを行っているわけだ。西部さんらは、タイミング法、排卵誘発、人工授精、体外・顕微受精といった不妊治療のプロセスをまず伝え、治療が長期化・高度化していくにつれて、経済的・精神的な負担が増すことを強調している。
不妊治療と仕事の両立に伴う
負担が社会課題に
 実際、「仕事と不妊治療の両立」は、大きな社会課題として認知されつつある。国立社会保障・人口問題研究所による2015年の調査結果によると、夫婦5.5組のうち1組は何らかの不妊検査や治療を受けている。また、同じ調査から、高度不妊治療(体外受精・顕微授精のいずれか)に限ると、治療にかかった費用は平均193万円となっている。
さらにNPO法人Fineが2017年に行った調査では、治療と仕事の両立を経験した人のうち、約40パーセントが両立を困難に感じて働き方を変えており、そのうち約50パーセントが退職していることが明らかになっている。
つまり、経験者のうち5人に1人が退職しているのだ。
出口のない迷路を
歩くような気持ちで
不妊治療を続ける
 ライフサカスの西部さん自身も不妊治療経験者だ。がん治療をきっかけに、医師から「お子さんを望むのは難しいかもしれません」と告げられたことがきっかけだった。働きながらの不妊治療は、身体的にきついうえに時間がとられ、経済的負担も大きかった。さらに、私ごとで申し訳ない気がして会社にも相談できなかった。当時の心境を、西部さんは次のように語る。
「これまでは、仕事でもプライベートでもやりたいことを思い通りにやって、傲慢な言い方ですが自分の人生を掌握していると思って生活してきました。ところが不妊治療が始まると、時間もお金もままならず、いつ結果が出るかもまったくわからない。出口のない迷路を一人で暗中模索しているようでした」
 周りの友人・知人である女性たちからも、「3年間治療を続けている」「5年間続けてやっと授かった」といった声を非常に多く聞いたという。そこで勤務していた広告代理店を退社し、問題解決に向けて株式会社ライフサカスを起業した。
「個人の問題として片づけるにはあまりにも大きいテーマだと感じ、もっと社会的に認知され、改善策がとられるべきだという使命感を感じたのです」
サイレント・ダイバーシティーの概念から
不妊の課題をとらえることを提案
 西部さんやライフサカスのメンバーは企業の担当者に向けて、不妊治療中の従業員が置かれている状況を構造的・客観的に理解しやすくするため、「サイレント(=声が上げにくく、認知もされにくい)・ダイバーシティ」という概念を新たに提唱しているという。
「職場におけるダイバーシティというと、これまでは女性や外国人、障害者といった『本人の属性』を中心に語られることが多かったように思います。しかし、これからのダイバーシティを考えるにあたっては、家族の介護や病気、そして不妊など、『本人が抱える状況』も含めて考えていくことが必要ではないでしょうか。なぜならこれらの状況は、周りからは見えにくく本人も語りたがらないにも関わらず、深刻に離職を考えるほど時間も費用も体力もとられるからです」
 サイレント・ダイバーシティの1カテゴリーである不妊については、企業側でどんなサポートをしたらよいかを考える材料がまだ潤沢とは言えない。そこで西部さんらライフサカスのメンバーは、治療のフェーズごとに求められるサポートを伝えている。
「企業様には、サポート体制を整えておくことの意義と共に、従業員がそのサポートを抵抗なく利用できるよう企業文化をつくっていくことも、同時に重要だとお話しています」
 日本においても、不妊治療の悩みに関する相談窓口を外部に設けたり、治療費を補助したり、妊活休暇とわからない形で女性社員向けの休暇制度を用意する企業が出てきた。とはいえ、2017年度の厚労省の調査では、企業の約70パーセントは、不妊治療に臨む従業員に向けた支援制度を設定していないのが現状だ。
 西部さんは、例えばアメリカでは卵子凍結サービス費用の援助まで行う企業が出てきていることを説明し、「アメリカ型のサポートをそのまま踏襲すれば良いとは思いませんが、従業員のライフイベントに寄り添い、個の幸せと働きがいが真に実現する組織づくりへ、企業として具体的に着手すべき時が来ていることは確かだと思います」と語る。
「独りでがんばらない不妊治療」に向けて
本人、職場、社会をつなぐ取り組み
 ライフサカスは、創業以来、「働く女性の健康と妊活・不妊治療支援」のスペシャリストとして、30団体以上の企業・学校・自治体への研修・講演を通じた理解促進に尽力してきた。また同時に、日本初となる不妊治療や産む、産まないにまつわる実体験を実名インタビュー形式で紹介するWEBメディア「UMU(ウム)」も運営、本人の孤独感を減らし、周囲に当事者のリアルを伝えていく役割を果たしている。
「経験者が作った会社として、いま苦しんでいる女性の働き方を少しでも楽にしたり、気持ちの抜きどころをつくる活動を続けていきたいと思います。不妊治療当事者のうち少なからぬ割合の女性が転職や退職をしている現実がありますが、私たちの活動が『仕事を諦めずにもう少し頑張ってみよう』と女性の背中を押すきっかけになることを目指しています」
 西部さんやメンバーの思いが一人でも多くの人に届き、妊活も仕事も笑顔で頑張れる人が増えることを期待したい。

西部沙緒里

株式会社ライフサカス代表取締役。早稲田大学から新卒で大手広告会社に勤務。2014年に乳がんを経験したのを機に不妊に直面、この社会課題の重大さを知り、不妊やがんの当事者経験をもつプロフェッショナルメンバーと2016年、株式会社ライフサカスを創業。前職で数年間、企業内人材開発を担っていた経験を生かし、同じくがん・不妊治療の経験者である黒田・三宅、および研修講師業を生業にもつ能戸とともに研修・講演事業も手がける。「群馬イノベーションアワード2015」でファイナリストに選出。

株式会社ライフサカス

「ライフを咲かそう。LIFE IS CIRCUS!」というキャッチフレーズのもと、2016年に創業。不妊や産む・産まないに向き合う女性、カップルのライフストーリーを紹介するWEBメディア「UMU(ウム) 」の運営や、不妊治療やがん治療に対する社会の理解を広げていくための企業・学校・自治体向け研修・講演事業などに取り組む。

文/横堀夏代 撮影/ヤマグチイッキ