組織の力
嘉麻市・9年間を貫く義務教育学校の新たな挑戦
新校舎がつなぐ異学年と地域の輪
福岡県・嘉麻市では、市立の小・中学校6校を9年制の「義務教育学校」に再編し、2023年度より新体制で学校教育をスタートさせた。再編に伴い、3つある義務教育学校の校舎をすべて新築。「つなぐ学び舎〜つながるなかま」をコンセプトにした新しい校舎には、文字通りつながりを生む仕掛けが随所に施されている。嘉麻市立稲築東義務教育学校を訪れ、同市教育委員会教育総務課教育企画係 係長の山本匡貴さん、同校教頭の三浦風弥先生にお話しを伺った。
市立小・中学校を義務教育学校に再編し、校舎を新築
かつて炭鉱の町として栄えた嘉麻市。近年は他地域に漏れず少子化が進み、市内の小・中学校の校舎の老朽化も進んでいた。小学校・中学校をそれぞれ統廃合する選択肢もあったが、地域に学校を残したいという思いは行政・住民とも強く、検討を進めるなかで「小・中学校を一つの校舎に集約する」という案が浮上。市の財政が厳しいなか、校務のスリム化や校舎の維持管理費の圧縮なども考慮してのことだった。 これを皮切りに、2018年度には「嘉麻市小中一体型校施設整備基本方針を策定」。検討を重ねるなか、教育委員会のメンバーは全国の先進地域の学校や校舎を見てまわった。 「義務教育学校(※1)は2016年度に始まったばかりで、当時はまだ事例は少なかったのですが、小中一貫校として運営している学校に話を聞くと、その多くがいずれは義務教育学校に移行する計画だということでした。また、運営組織がシンプルなほうが意思決定などもスムーズだというご意見も伺いました。 視察等で得た情報や知見を踏まえて、未来を生きる子どもたちを育てるためには9年間を通した切れ目のない教育活動が有効だという思いが強くなり、校舎を一つにするなら組織も一つにしようと、義務教育学校を選択しました」(山本さん) ※1義務教育学校:小学校・中学校の区切りをなくした教育課程9年の学校。前期課程1〜6年生、後期課程7〜9年生と定められているが、9年間の系統性を確保した教育課程を編成・実施できる。小学校・中学校にそれぞれ校長がいる小中一貫校とは異なり、校長は一人。 左から)嘉麻市教育委員会教育総務課教育企画係 係長の山本匡貴さん、嘉麻市立稲築東義務教育学校 教頭の三浦風弥先生 こうして、市内小中学校13校のうち3小学校・3中学校を、3つの義務教育学校に再編。3校とも校舎を新築することが決まり、2020年度より校舎の設計・建設を開始、2023年度に3校同時に開校した。
「つなぐ・つながる」をコンセプトにした開放的な空間
新校舎のコンセプトは、「つなぐ学び舎〜つながるなかま」。「質の高い教育を実現する学校」「地域創造の核となる学校」を軸に設計され、従来の一般的な学校のイメージを覆す、オープンでスタイリッシュな空間になっている。校舎全体が学びの場となるよう、また、開かれた教室・学校となるよう、デザイン性や機能性も含めて随所に工夫が凝らされている。 1階から3階まで校舎の中央部は吹き抜けになっており、明るい光が差し込む 新校舎の肝になるのが、2階の中心部に配置された「メディアコモンズ」だ。いわゆる図書館にあたり、たくさんの書籍に囲まれたオープンな空間は、本を読んだり調べ物をしたりと、1年生から9年生まで全学年の児童・生徒が自由に使用できる。 「設計に際して教育委員会の要望の一つが、異学年交流がいつでも・どこでもできるような空間が欲しい、というものです。新校舎はどこに移動するにも2階を通る設計になっており、動線上にあるメディアコモンズが、みんなが自然と交わる接点になっているんです。メディアコモンズを囲むように理科室や外国語活動室などの特別教室が配置されていて、図書を活用した主体的・対話的で深い学びの場を創出するねらいもあります」(山本さん) 校舎の中心部、「メディアコモンズ」。子どもたちの多様な活動を誘発する空間となっている メディアコモンズの図書コーナー。オープンなスペースもあれば一人用のこじんまりしたスペースもあり、9年間の心身の成長にも応じた多様性のある空間となっている(写真は低学年の子ども向けのエリア) また、1階の中央には、3階まで吹き抜けになった階段状の「発表ステージ」が配置されている。いわゆる「舞台」よりもカジュアルでオープンな空間になっており、いつでも誰でも使用できる。「休み時間に児童・生徒が合唱や音読などのミニ発表をする姿や、それを見ている児童・生徒の姿をよく目にする。子どもたちの自発性を引き出す空間になっている」と三浦先生。2・3階への移動動線にもなっており、こちらも人と人との交流が自然と生まれる場となっている。 発表ステージの上部は吹き抜けになっており、発表や催し物を上階からも見ることができる。教員研修を行うなど、大人も利用している
子どもたちの集団やつながりに合わせて、共有スペースを設計
「校舎全体を教育・学びの場として使えるようにする」「限られた空間を無駄にしない」という考えのもと、通路としての「廊下」の空間を最低限に抑え、コモンズやステージなどの共有スペースを囲むように教室が配置されているのも新校舎の特徴だ。敷地の広さや形状などの関係で学校ごとに若干の違いはあるが、いずれの校舎でも各教室は共有スペースを介して緩やかにつながっている。 教室は南向きにこだわらず、学年ごとに見える風景が変わることを優先。進級を視覚的に実感でき、9年間を通して飽きることもない 嘉麻市の義務教育学校では、教室の前の空間は、1〜6年生はオープンスペース、7〜9年生はロッカースペースとなっており、学年ごとに学びや生活の場として使用できるようになっている。また、9年間を「4・3・2」の3つ(低学年:1〜4年生、中学年:5〜7年生、高学年:8・9年生)に区分しており、稲築東義務教育学校の場合は、低学年の教室は1階、中学年・高学年の教室は3階に配置され、それぞれに共有スペース(低学年コモンズ、中学年コモンズ、高学年コモンズ)が設けられている。2階にはメディアコモンズを中心に全学年が使用する特別教室が配置されており、フロアごとに明確にゾーニングされている。 「集団の基本単位は学級で、学級で使うのが教室。次の単位は学年で、学年で使うのがオープンスペース。その次の単位が低学年・中学年・高学年グループで、それぞれで使うのがコモンズや発表ステージ...というように、子どもたちの集団やつながりが段階的に広がっていくような空間になっています」(山本さん) 「これらの共有スペースは、授業では習熟度別の指導時などに使用しているほか、学年集会や学年ごとの活動、異学年交流などでも使っています。オープンスペースには扉がついていて開閉可能なので、音などが気になるときは閉めて使うこともでき、とても機能的です」(三浦先生) 学年ごとの共有空間「オープンスペース」は、隣接する教室と一体として使用することもできる 教室には必要なものだけを持ち込み授業に集中できるよう、高学年の教室にはロッカースペースを配置。生徒の交流の場にもなっている
閉じた教室・学校から、中身の見える開けた教室・学校に
特別教室の壁がガラス張りになっており、ショーケースのような役割を果たしているのも新校舎の特徴の一つ。目的は「中身の見える化」だ。「学校が持つさまざまな教材に触れさせてあげないのはもったいない」と三浦先生は言う。 「理科の実験器具や標本、音楽の楽器など、学校にはいろんな教材がありますが、子どもの手や目に触れるのはごく一部です。何が・いつ・どのように響くかは人それぞれですが、子どものときに見たものに強く惹かれたり、なぜか気になってしまったり、それがきっかけで興味をもったりすることもあるでしょう。学校生活の日常に、そんな発見やひらめきの種がまいてあるのです」(三浦先生) 理科室や音楽室などの特殊な教材・器材を扱う教室はガラス張りでショーケースのようになっており、楽器やフラスコなどが通行する児童・生徒の目に触れるようになっている 職員室や事務室は「校務センター」として一つにまとめ、事務職員も含めてすべての教職員が同じ部屋に集う。校長室も隣接しており、児童・生徒の情報交換や連携・連絡がスムーズに行えるようになっている。また、校務センターの壁もガラス張りで、「中が見える職員室」になっている。 児童・生徒や教職員が使用する玄関口を入ってすぐのところにあるのが校務センター。ガラス張りになっており、発表ステージも見え、子どもたちとの距離も近い 部屋全体を見通せる広々とした校務センター。奥には会議スペースなどを多めに設けて、9学年分の教員が不自由なく集まれるよう配慮されている
異学年交流が心の成長や憧れの醸成につながる
義務教育学校として新たなスタートを切り、1年半あまり。視察先などでは「それぞれ異なる土台やルールで活動してきた小・中学校の教職員が混じり合うまでには時間がかかる」と聞いていたそうだが、「大きな問題もなく、開校当初からスムーズに活動ができていた」と三浦先生は振り返る。 「嘉麻市では10年ほど前から小中連携教育を進めており、教育・行事での連携や教職員同士の交流があったため、協力し合う、みんなで一緒にやる、という空気が当初からありました。前期課程が大変なときは後期課程の先生がヘルプに行きますし、後期課程の部活動を前期課程の先生がサポートすることもあり、できる人ができることをやるという補完関係ができていて心強いですね。また、児童・生徒の成長を9年間を通して見守れるというのは、教員にとっては喜びの一つです。子どもたちの合唱の様子を見て、旧担任が感極まって涙していたり、先生に見てもらうことで子どもたちも喜んだり...双方に良い効果があると感じています」(三浦先生) また、1年生から9年生まで幅広い年齢や成長段階の子どもが同じ学校・校舎で学ぶことには、「子どもたちにとってもポジティブな影響があると感じている」と三浦先生は言う。 「特に後期課程(7〜9年生)の生徒にとって、前期課程(1〜6年生)の子どもたちと日常的に触れ合う機会がある環境は、人としての心の成長につながっていると感じます。低学年の子と手をつないだり優しく接したりするシーンをよく見かけるのですが、普段とは違う意外な一面を見せる生徒もいて、私たち教員にとっても気づきになっています。また、低学年の子たちは、日常生活や部活動、学校行事などを通して先輩の姿に憧れを抱き、さまざまな年齢が混じり合う良さを実感しています」(三浦先生)
校舎のポテンシャルを活かし、地域創造の核となる学校に
最後に、両名に今後に向けた課題について伺った。 「後期課程と前期課程の児童生徒と一緒に学校行事に取り組んだり、縦割りの清掃活動を行ったりと、さまざまなかたちで異学年交流を進めていますが、まだ不十分だと感じています。異学年交流をさらに活性化すべく、教員間でも生徒会でもいろいろとアイデアを出し合い検討しているところです。また、先進的な校舎を十分に活かしきれていないのも課題です。校舎のもつポテンシャルを最大限に引き出すためには、教員たちの意識を変えていく必要があると感じています。」(三浦先生) 「今後は、校舎のコンセプトにも掲げているように、地域創造の核となる学校にしていきたいと考えています。今年度は地域の方々とともに開校を記念するイベントなども予定されています。地域に開かれた学校、地域住民と一緒になって地域を盛り上げていける学校になるために、今後はコミュニティスクール化に向けた取り組みも進めていく予定です」(山本さん) かつて嘉麻市にあった炭鉱の歴史などを展示した「いなひがギャラリー」。地域の人にも見に来てもらえるよう整備を進めている 「いわゆる学習だけでなく、生活や遊び、人間性の涵養も含めて、すべてが子どもたちの"学び"」と三浦先生。義務教育学校という枠組みと先進的な校舎を活かしてどのような"学び"が生まれるのか、注目を集めそうだ。