ライフのコツ

2017.02.10

育つのは自己表現力や感受性だけではない

美術教育によって養われる社会的スキルとは?

図画工作や美術の授業では、1人で一つの作品を手がけることが多い。そのため、「美術や図画工作の主な目的は自己表現力を高めることにある」と考える人もいる。しかし、美術教育によって育つ力はそれだけではない。「図工や美術のグループ活動を行うことで、コミュニケーション力など他者と関わるための力も大きく育ちます」と現場の先生や美術関係者は証言する。今回は、多摩美術大学校友会が主催する『出前アート大学』が小学校で行った出張授業を一例に、美術や図工が拓くこどもの新たな可能性を追ってみる。

小学生が商品開発会議?
デザインワークで社会性を育成
「私たちは、食事が楽しくなるイスとテーブルのセットをデザインしました」
マイクを通して、少し緊張した声が響く。2016年11月28日。神奈川県茅ヶ崎市立緑が浜小学校の一室は、静かな熱気に包まれていた。5年生のこどもたちがチームごとに協力して考えたデザインを、いよいよ商品開発会議でプレゼンテーションするのだ......。
小学生がデザイン? 商品開発会議? と不思議に思った人がいるかもしれない。実はこの日に行われたのは、多摩美術大学校友会が主催する『出前アート大学』という出張型授業の一環。多摩美術大学の卒業生によって組織される校友会では、こどもたちにアートの楽しさを体験してほしいという思いから『出前アート大学』を立ち上げ、全国の小学校を対象にさまざまなプログラムを実施している。今回は、こどもたちにデザインの仕事を疑似体験してもらう目的のもとに、「海辺に移動式カフェをつくろう」というコンセプトで、3日間にわたって授業が開催された。
今回は、5年生の児童全員がデザイン事務所の社員になり、看板や食器、家具、照明器具などカフェで使うさまざまなモノのデザインの受注を受けた、という設定で授業が進められた。5年生の児童は7チームに分かれ、プロのプロダクトデザイナーの力を借りながら製品の色や形、材質、機能などを決めるデザインワークを進めてきた。つまり学年全体で、カフェのトータルデザインをつくり上げてきたのだ。そして授業最終日となるこの日に、自分たちが考案したデザインを披露した。
緑が浜小学校の教頭であり、多摩美術大学校友会の理事も務める小野範子先生は、このような授業開催に踏み切った理由を次のように話す。
「一つには、モノづくりにまとまった時間をかけてほしかったからです。近年、小学校の図画工作の授業数は減りつつあり、高学年では年間50時間程度です。実はこの傾向は、こどもの成長においてもったいないと言わざるを得ないのです」

図工の時間が減ることによって、こどもにどのような影響があるのだろうか。そのヒントになるのが、小野先生の「こどもは本来、頭で考えずに手で考えるもの」という言葉だ。つまり、手を使ってつくったり描いたりする時間が少ないと、発想力や認知力が育つ機会も減ってしまうことになりかねないというのだ。

『出前アート大学』を導入したもう一つの目的として、小野先生は「社会的スキルの育成」を挙げる。
「小学校の図工では、図画や工作を通して自己表現をすることが主流となっています。もちろん自己表現も大切ですが、図工で育まれる力は、それだけではありません。他者と共同作業をしたり、他人のことを考えてモノをつくったりする機会があれば、コミュニケーション力や協働力、伝える力、周りの状況を観察する力など、社会で生きるのに必要なスキルを養うことができるはずです。今回の授業が、そのきっかけになればと思いました」
他者や社会に目を向け始める
年齢だからこそ意義深い
一方、今回の授業を企画した多摩美術大学校友会も、小学校における美術・図工教育にかねてから課題を感じていたという。校友会副会長の齋藤敦子さんは次のように話す。

「図工の授業時間数が減っている現状がある中で、こどもたちにつくる喜びを味わってもらいたいという願いから、2004年に『出前アート大学』の事業をスタートしました。今回の授業はちょうど50回目にあたるのですが、この10数年の社会と教育現場の変化を感じるなかで、5年生という高学年の児童にデザインワークを体験してほしい、という意図がありました」

なぜ低学年ではなく5年生にデザインワークを経験させることが有効なのだろうか。
「こどもは高学年になるにしたがって、『他者が何を求めているか』『他者とどう関わっていくか』に関心を向け始めます。5年生という学年は、まさに他者との関係構築においてとても重要な時期です。その学年の児童が商品デザインを体験することで、『自分たちのつくったモノは他人からどう見えるか』『何の役に立つか』といった視点が養われ、社会性が身につくことを期待しました」(齋藤さん)
小野先生に続いて、齋藤さんのお話にも"社会"というキーワードが登場した。さらに5年生のクラス担任の一人である高橋綾先生は、「職業を知る」という観点から今回の授業の意義を説明する。
「5年生になると、将来について考え始め、職業に関心を寄せる児童が増えてきます。デザインワークに取り組むことで、普段使っているモノがどんな過程を経てつくられるかの一端がわかるので、職業体験という意味でも貴重な機会になると考えました」
3回の授業を経て
こどものさまざまな力が開花
ここからは、3回の授業が実際にどのように進められたのかを紹介しながら、児童たちの変化を見ていこう。第1回の授業では、企画説明が出前アート大学側から行われ、こどもたちはチームに分かれてアイデアを出した。あわせて、こどもたちの補佐役として今回参加したプロダクトデザイナーチームである「B6Studio」のメンバーから、デザインの仕事について説明が行われた。 「5年生はもともと図工が好きな児童が多く、アイデアもどんどん上がってきました。ただ、説明を聞いても実際に何をするのかがよくわからず、好きなモノをつくればいいと思っていた子が多かったように感じます」(小野先生)
この回の最後には、第2回に向けて各チームに宿題が出された。カフェの設置場所とされる海岸へ実際に出かけ、「どんな人が、どんな環境でカフェを使うのか」を調査してリサーチシートにまとめるものだ。そして第2回の授業では、リサーチの結果を踏まえてさらにアイデア出しが行われた。
「自分たちの出したアイデアと発注時の条件、リサーチしてきた内容が頭の中で結びつかず、混乱してしまったグループもありました。でもこの段階で、『依頼された内容を踏まえて考えることが重要なんだ』と気づいたことは大きな収穫です」(齋藤さん)
また、第2回の途中あたりからデザインワークについて理解し、チームのなかで自発的にリーダーシップをとる児童が出てきたことも大きな変化だった。5年生のクラス担任である今井健志先生は、こどもたちのコミュニケーションにおいて、普段の授業とは違う様子が見られたことに驚きを感じたという。
「算数や国語の授業でもグループ活動を行うことはありますが、勉強が得意な子が中心になって発言する傾向がありました。でも今回の授業では、算数や国語は苦手でも図工が得意な子がリーダーとなり、チームの意見をまとめたり、自分の意見をしっかり伝えていました。リーダーとなった子が自信を深めるのを見て、うれしくなりました。リーダーが誕生したことで、チーム内で自然と役割分担も生まれていきました」
 逆に、図工に興味のなかった児童が周りのサポートを受けながら手を動かす姿も次第に見られるようになった。
「図工が苦手な子が楽しそうに作業をしたり、逆に考えるのが得意でない子が友達とアイデアを出し合ったりする姿が見られました。図工のグループ活動は、普段発揮されない力を引き出すのに効果的だと実感しました」(今井先生)
そして第3回では、さらなるこどもたちの成長が見られたという。まずは、異なるアイテムをデザインするチーム同士が、自然発生的に協働活動を始めたことだ。例えば、屋台をデザインするチームが照明器具のチームに「小さなライトをつくってほしい」とお願いするといった形でコラボレーションがみられた。先生方や『出前アート大学』のスタッフたちは、事前に「違うチーム同士でコラボレーションができるといいね」と話してはいたが、こどもたちの側から案が出てくることは予想していなかったという。 「他のチームとコラボできるということは、周りがどんな活動をしているのかをきちんと把握したうえで、今回の要件に合うかどうかも吟味できているということです。みんなで一つのものをつくり上げるということを理解できたんだな、と頼もしく感じました」(小野先生)
最後の見せ場となるプレゼンテーションでは、どのチームもほぼ全員が交代でマイクを持ち、自分が担当したモノのデザインコンセプトなどを説明した。テレビの通販CM顔負けの芸達者ぶりを見せる児童もいて、会場は大いに盛り上がった。
「何をつくるかだけでなく、自分たちのイメージを他人にどう伝えるかが大切だと気づき、『プレゼンはこうやった方がいいんじゃない?』とアイデアを出す子もいました。3回の授業を経て、伝える力を伸ばす子が目立ちました」(齋藤さん)
美術・図工教育というと、表現力や想像力、感受性を育てるというイメージが強い。しかし、今回の授業のように、内容や取り組み方次第では社会的スキルを高めるのに大いに役立つ。つまり、つくったり描いたりする時間を通じてこどもは協働することの楽しさや大切に気づき、自然な形で社会性が育つのだ。美術教育が秘める可能性は、私たちが考えるよりずっと大きいのかもしれない。

出前アート大学

多摩美術大学校友会が、卒業生が関わることのできる社会貢献活動として2004年から運営する事業。日本全国の小学生を対象に、アートの楽しさやつくる喜びをこどもたちに体験してもらうことを目的にアーティストやクリエイターを講師として派遣し、出張型の授業を実施。既存のメニューはなく、分野も形態も多岐にわたる授業を展開している。

文/横堀夏代 撮影/曳野若菜