レポート

2018.10.30

コクヨらしいイノベーションの舞台裏 vol.1

第4回 働き方大学
「成熟市場で挑戦した新開発 “ing”」編 セミナーレポート

働く人、学ぶ人、暮らす人たちのために、おもに家具と文具で社会に役立つことを追求するコクヨ。「面倒で厄介なカスのような仕事でも、世の中の役に立つと信じ、その価値を極めれば必ず商売になる」という、コクヨの創業者・黒田善太郎の商いの精神のもと、110年以上に渡りつねに第一線で新しい価値を発信し続けている。今回は、そんなコクヨのDNAを受け継いで開発した、オフィス家具とIoTを活用した文具製品のイノベーションプロセスをそれぞれ紹介する。

・2017年11月に発売開始したオフィス家具『ing(イング)』
・現在開発中のIoT活用文具『しゅくだいやる気ペン(仮)』

まったく新しい発想で
座りすぎ大国を救う!

前半の講師は、「座りすぎ大国を、救え。」をテーマに、オフィスチェアの常識を覆す、まったく新しい発想の椅子『ing』の開発に主軸として携わった木下洋二郎氏。過去にない商品開発にチャレンジするときに、何が障壁となり、どうやって突破したのか。開発過程で起こりうる失敗とその乗り越え方、頭の切り替え方、ものづくりの現場の生の声を紹介する。



誰も体験したことのないオフィスチェア
開発の起点になったこと

【木下洋二郎氏 講演概要】
2017年11月にコクヨから発売させていただいた『ing(イング)』は、360°あらゆる方向に揺れる、今までと違った座り心地を体験していただけるオフィスチェアです。今回は、ingの開発プロセスをご紹介します。


2_bus_059_01.png

Copyright © 2018 KOKUYO Co., Ltd.


前後方向に動く椅子はこれまでにもありましたが、ingは"360°グライディングチェア"ということで、前後だけでなく左右にも動くのが最大の特徴です。実は、人間の身体は想像以上に動いていて、「じっとして」と言われても意外とできないのは、人の身体がつねに動くものであるということを示しています。

たとえば、映画館で2時間も座っていると、お尻がムズムズしてしまうのは身体が動きたがっているということ。ingは、身体の動きに合わせて自然と揺れが追随します。また、すごく軽い加重で揺れるので体を動かしやすく、座っている人のさまざまな癖に対応するのも画期的であると言えるでしょう。


2_bus_059_02.jpg

ingは開発に4年ほどかけているんですが、開発を始める少し前、2013年、14年あたりは「座りすぎが健康リスクを高める」というニュースがネットなどで出始めたころでした。大学の研究結果などで、がんの発症リスクが高まるとか、寿命が縮まるとか、健康についてのショッキングなニュースが話題になっていました。

私自身、椅子の開発を長くやってきたのもあって、こういう状況に対して何か一からまったく新しい椅子を提案できないかなと、そのとき強く思ったんです。こういうことがニュースになる場合、だいたいセンテンスが短く切られることが多いので、「座ること=よくないこと」になってしまったんですね。

でも実際は、座ることがダメなのではなくて、長時間同じ姿勢を取っていることがダメだったんです。これは立っているときも同じで、長時間同じ姿勢で身体が固まっているのがいけないということ。この気づきから、椅子でもまだ何かできることがあるんじゃないかと思ったのも開発をドライブさせた一つの起点になりました。



ingを発売に導いた
3つの変革ポイント

私の考えるingの発売につながった開発プロセスのポイントは、「場の見直し」、「組織の見直し」、「プロセスの見直し」の3つです。

1.外の知見を有効利用する
「場の見直し」
私たちのプロジェクトでは「閉じた場から開いた場へ」をテーマに、2010年から2016年まで西麻布でシェアオフィス『KREI open source studio(クレイ オープンソーススタジオ)』を開設していたことがあります。ちょうど"シェアオフィス"が流行り始めたころで、自分たちでも一度実験してみようということで、ビル一棟を借りてチャレンジしたんです。

企業ならどこもそうですが、特に開発にかかわることは機密事項なので、なかなか社外にはオープンにできません。でも新しいことに取り組んだり、イノベーションを起こしたいと思ったときに、今までにない知見を求めたり、開かれた場所をつくることによって、今までにないものづくりのやりかたができないかなと思ったんです。そこで、インハウスのデザイナーだけでなく、フリーランスのクリエイターの人たちにも同居してもらって、とりあえず場を共有しながら仕事をしてもらいました。


2_bus_059_03.png

Copyright © 2018 KOKUYO Co., Ltd.


具体的には、ここに入居している人たちだけでなく、可能な限りいろんな人とコミュニケーションを取り、情報交換しながら、いろんな知見や考え方を目一杯吸収することを徹底しました。たとえば、作品展とか、会社の仕事とは関係ないことだったり、セミナーでもちょっと新しいトライアルみたいなことをやってみたり。

実のところ当時は、自分たちでもこれが何の役に立つんだろうなぁっと、答えが見えないまま突き進んでいた部分もあったんですが、今となってみれば、外部の知見を日常的に取り込むスキルが身についたとは言わないまでも、マインド醸成にはなったのではと思っています。

2.全員で同じ目標に取り組む
「組織の見直し」
組織の見直しは、デザインと商品技術、生産技術の3つというとてもシンプルな構造なんですが、今回のプロジェクトではそれぞれ分かれていた組織を一体化させました。


2_bus_059_04.png

Copyright © 2018 KOKUYO Co., Ltd.


本来、革新的なものづくりでは、さまざまな領域を跨いで多角的にアイデアを出し合いながら組み立てていかないと新しい発想は生まれません。ところが、デザイン、商品技術、生産技術と、それぞれの先行開発を各部門が別々に行なっていたために、なかなか結果を残せなかったんです。

実は本当に結果を出せず、会議で最低の評価を受けてしまったときに、なかば背水の陣で統合させたのが怪我の功名となりました。違う組織、違う機能の人たちが同じ目標を持つことによって、ぐっとドライブがかかりやすくなったのを実感して、こういう組織の見直しというのは必要なんだなと思いました。

3.発想の転換で成功した
「プロセスの見直し」
明確なゴール設定が可能な、既存の商品をベースに改変を行う改善改良型の商品開発の場合は、そのゴールに向かってとにかく効率化を問われますから、そのなかでどれだけ出戻りを少なくできるかが重要課題になります。つまりインプットからアウトプットまで確実に展開していく一直線の「ストロー型」という進め方が推奨されているんです。そして他部門と連携して進めていく「ウォーターフォール型」のように、設計・試作・評価を順番に部門連携でリレー形式でやっていくというのが改善改良型の一般的な進め方の特徴です。


2_bus_059_05.png

Copyright © 2018 KOKUYO Co., Ltd.


ところが今回は、この開発プロセスも大きく見直しました。なぜならば、イノベーションを起こすときには、不確実なゴールに向かっていろんな可能性を探りながら、たくさんのトライアルをしないといけないからです。誰にもゴールが見えていないので、プロセスを確実に設計するのは非常に難しく、たくさんの可能性をとりこまないと成功に導けません。その結果、たくさんのトライアルから徐々に絞っていく「ジョウゴ型」にシフトしたというわけです。

ところが次は、時間もメンバーも限られているなかで、何を効率化させるかがポイントになりました。そこで思いついたのが、「アジャイル型」です。設計・評価・試作をできるだけコンパクトに手間をかけずに回して、仮説や可能性を試しては潰し、絞っていくという「ジョウゴ型×アジャイル型」に取り組んだのが、このプロセスの見直しでのポイントになりました。開発の3部門、デザイン・商品技術・生産技術のメンバーが一体となって、商品開発を先行して、企画とマーケティングを後で行う、まったく逆のアプローチにチャレンジしたんです。

従来の改善改良型チームから見ると、我々のような革新型チームは何をしてるんだと、遊んでいるようにしか見えなかったようですが、とにかくつくっては試して評価するということをたくさん繰り返しました。そんななか、ある試作品をオフィスの片隅に置いていたら、社員が勝手に座って楽しそうに体を動かしていて、そんな彼らの何気ない姿を見たのをきっかけに、その動きを再現するメカを具体的にオフィスチェアとして落とし込んでみたのが好転のキッカケになりました。

シーズ開発と言っておきながら、結果的には本当はニーズ開発に近かったのかもしれません。こういうものはエンドユーザーの体験がもっとも大事な起点になります。顧客体験をどううまく拾い上げられるかが、革新につながる大きな原動力になるんですね。

ingは、まだ誰も体験したことのない新しい価値を追求したので、世間が知らない価値を一気通貫で伝えることが重要だと考え、メディアにも積極的に取り上げていただきました。「座りすぎ大国を、救え。」をプロモーションテーマとして掲げましたが、これも最初に起点としたこととつながったことで、うまく伝えることができたのではないかと思っています。商品と社会課題がどうつながっているのかをきちんと見ていただくことによって、世の中に振り向いてもらえるようになることを体験から学ばせていただくいい機会になりました。


2_bus_059_06.png

Copyright © 2018 KOKUYO Co., Ltd.




まとめ

まとめになりますが、先ほどご紹介した3つのポイント、場、組織、プロセスの見直しということで、「場」では、閉じた側から開いた側をどうするか、開いた側で何をどう吸収するかの大切さをお話ししました。それは「組織」でも同じで、いかに多様性を確保するかが重要になります。

世の中にない価値をつくり出そうとするときには、機能別の組織単体での取り組みだけではなかなか新しいものが生まれません。そこで、いかに多様な人材や情報を同じ場に見える化させることができるかが大切になると思います。

「プロセス」では、さまざまな可能性を広げることと、どれだけいろんなことに短時間で取り組めるかがポイントになります。プロジェクトを進める推進力においては、かなり人によるところが大きいように感じています。

たとえば、パッション。もともと情熱的な人はそれでいいのですが、「パッションを生む」とはどうこういうことなのかと考えたとき、ingの試作品に楽しそうに座っているユーザーのシーンをどんどん具現化するべきだと思ったんです。ユーザー体験を共有することがいろんな意味で推進力の原動力・原点になると実感しました。

また、常識を疑う視点も大事です。私たちはつねに常識にとらわれてしまって、今までの経験や知識によって判断してしまっているところがあります。その常識を疑うときの視点と今までにない判断基準を持つときの視点はなにかというと、ユーザーの体験談なんじゃないかと。今回のingの場合は、「イス」(名詞、モノ)の革新とともに、「座る」行為(動詞)自体を変えましたが、何か変革を起こすときに「動詞」で考えることが必要なんじゃないかなと思います。

次回は現在、IoT文具「しゅくだいやる気ペン」の開発に奮闘中の中井信彦氏の講演の模様をお伝えします。


木下 洋二郎(Kinoshita Yojiro)

コクヨ株式会社ファニチャー事業本部 ものづくり本部1M プロジェクト プロジェクトリーダー。1990年入社。オフィスチェアーを中心に、家具全般の先行開発およびアドバンストデザインを担当。人間工学や脳科学の視点から行動観察を行い、デザインとエンジニアリングを融合した開発手法でコクヨのイノベーションをリード。ドイツiFデザイン賞金賞、グッドデザイン賞等、受賞多数。

文/株式会社ゼロ・プランニング 写真/新見和美