組織の力
ライフサイエンスのエコシステムを構築する〈前編〉
日本初の製薬企業発サイエンスパーク「湘南アイパーク」とは?
2018年に開設された「湘南ヘルスイノベーションパーク」、通称「湘南アイパーク」は、武田薬品工業が自社の研究所を外部に開放して誕生した、日本初の製薬企業発サイエンスパーク。製薬、創薬、次世代医療、細胞農業から研究開発支援、AI、金融まで幅広い業種や規模の産官学が結集し、ヘルスイノベーションの加速とライフサイエンスのエコシステムの構築を目指している。前編では、湘南アイパークの管理・運営を担うアイパークインスティチュート株式会社の藤本利夫代表取締役社長に、設立の背景や目指すところをお聞きした。
湘南アイパークが目指す「エコシステム」とは?
湘南アイパークは、総床面積約30万平米という日本最大級の研究施設で、化学実験、生化学実験などが行える最新の実験設備や共用で使用できる実験機器のほか、オフィス、講堂、会議室、食堂、バー、ジムなどが揃う。業種も規模もさまざまな、約110社、約2,500人(2024年5月時点)の企業・団体が入居している。「革新的なアイディアを社会実装する」をビジョンに、「世界に開かれたライフサイエンスエコシステムの構築」をミッションに掲げ、「探究・共創・実装」をバリューとしている。 「ライフサイエンスにおけるエコシステムとは、大学、創薬ベンチャー、大手製薬会社、VC(ベンチャーキャピタル)など、さまざまなステークホルダーが集い、つながり、支え合い、新しい薬や技術を商品化して世の中に送り出すシステムのこと。アメリカをはじめ世界ではこうした動きが広がっています。日本でもこのエコシステムをつくりたい、つくらねばならないと、武田薬品工業が自社の研究所を外部に開放して生まれたのが、湘南アイパークです」(藤本氏、以下同)
バイオベンチャーが育たない、日本の創薬・製薬の課題とは?
湘南アイパーク設立の背景には、創薬・製薬業界における日本の遅れがあった。「医薬の世界はこの30年あまりで大きく変わった」と藤本氏は説明する。 「30年ほど前までは、1社が単体で創薬から製薬まで担うのが一般的でした。加えて、1990年代の終わり頃までの医薬品は、抗生物質などの低分子化合物が主流でした。これは日本が得意とする領域で、当時は日本の製薬会社が世界の医薬業界を席巻していました。その後、技術が進化し、大腸菌などを用いて製薬するバイオロジクス(生物製剤)が医薬の主流になっていきました。ガンやリウマチに対する標的療法など、特定の悪いものだけを攻撃する、効果が高く副作用が低い医薬品や、細胞治療や遺伝子治療など次々と新しい技術が生まれていきました」 そうしたなか、日本の製薬会社は遅れをとるようになった。要因は、技術ではなく製品化のプロセスが確立されていないことにあると、藤本氏は説明する。 「近年の技術革新を牽引するのが、バイオベンチャーです。大学で生まれた新しい技術をバイオベンチャーが育て、成功すると大企業に買収される...というモデルや拠点が、アメリカを中心にできています。VCもどんどんバイオベンチャーに投資しています。 一方、山中教授のiPS細胞の例のように、日本は元になる技術研究自体は遅れていないのですが、ベンチャーやスタートアップが失敗を覚悟で挑戦する、金融機関やVCがそこに投資する、という構造がなく、バイオベンチャーがなかなか育ちません。 というのも、バイオテック領域は、IT領域などと比べて、かかる金額も時間も桁違いに大きいんです。開発から製品化までに10〜20年はかかりますし、成功する確率は2〜3万分の1と言われています。アメリカでは失敗の確率が高いリスキーな部分はベンチャーが担い、そこへの投資も集まりますが、日本ではリスクを取って投資するという土壌がありません。国内でも危機感は高まっており、近年は国を挙げて創薬スタートアップへの投資に注力しています。いい動きは出てきていますが、まだまだ遅れているのが現状です」
ライフサイエンスの「スイス」と「メッカ」を目指す
厳しい状況に置かれるようになった日本の製薬会社にとって、新しい医薬品を生み出せないのであれば、国内に拠点を置く意味はなくなる。これは武田薬品工業にとっても死活問題だった。そこで、自社の研究所を外部に開き、さまざまなステークホルダーと交わりながら新しいものを生み出すオープンイノベーションの環境をつくる、海外のようなライフサイエンスのエコシステムを構築するという方向へと舵を切った。 「当時、武田薬品工業の社長に研究所を開放する目的を尋ねると、『研究者の視野を広げること』という答えが返ってきました。誰とつながりどうすれば世界に羽ばたく医薬品を作れるかという視点を、日本の研究者にもってほしいと。武田薬品工業の利益だけを考えた事業ではなく、日本の創薬・製薬業界が抱える課題を解決したいという意気込みが伝わってきました」 実は藤本氏は、もとは医師。事業を任された当初は、「ノーアイデアだった」と言う。まずは成功事例を学ぼうと、アメリカやヨーロッパの拠点を見て回った。参考になることは多かったが、「日本で、この場所で、再現できるモデルはなかった」と振り返る。 「海外の拠点はベンチャーを集めたものが多いのですが、日本はベンチャーの絶対数がそもそも少ないので、ベンチャーだけで埋めることはできません。また、海外では大学に隣接した場所に拠点を設けるケースも多いのですが、湘南アイパークの周辺には大学がなく、これも実現不可能でした。 そこで、大企業とベンチャーを一つ屋根の下に集め、パートナーシップが生まれるような、ミックスモデルを考えました。カギになるのは、アンカーテナント、つまり、武田薬品工業の存在です。ここを軸にいかにパートナーシップを広げるか、コミュニティを形成するかが重要だと考えました」 視察を重ねるなかで、藤本氏はさまざまな人に助言を仰いだ。なかでも心に刺さり、その後の方針にもなったのが、アメリカ・ボストンにあるケンブリッジ・イノベーション・センターの創業者にかけられた言葉だった。 「『スイスとメッカになれ』と言われたんです。スイスのような中立の立場であれ、メッカのような研究者なら誰もが行きたいと思うライフサイエンスの中心地であれ、という意味です。以来、私は湘南アイパークをスイスとメッカにすることだけを考えて運営してきたと言っても過言ではありません」
ICカードでセキュリティー管理された室内は、実験室にオフィスが併設されている。
武田薬品工業から独立し、中立的な立場でオープンイノベーションを起こす
こうして、2018年4月に湘南アイパークが開設。当初は空室が目立ったが、次第に認知度が上がり、ラボやオフィスの入居者やコミュニティに参加できるメンバーシップ会員が増えていった。当初は武田薬品工業の一部門として施設やコミュニティの運営・管理を行っていたが、2023年、その事業を武田薬品から承継するかたちで「アイパークインスティチュート」として独立。現在も武田薬品工業は主要株主ではあるが、三菱商事や産業ファンド投資法人とのJV(ジョイントベンチャー)のかたちをとっている。 「武田薬品工業という一製薬会社の傘下である限りは、『スイス(中立)』ではないし、『メッカ』にもなれないと考え、独立を決めました。志を同じくする36名の社員がついてきてくれ、そこからは現場からのボトムアップでさまざまなプロジェクトを進めてきました。私もいろいろと考えてやってきたんですが、不思議なもので、トップダウンでやったことは長続きしないんですよね」 武田薬品工業の研究員ではなかった藤本氏が、湘南アイパークという拠点づくりにここまでコミットするのには、ある思いがあった。 「私はもともと外科医で、肺がんの手術を多く手がけていました。患者さんが元気になる姿を見たいという思いでやっていましたが、当時は末期の患者さんが多く、手術をしても半年後に再発して病院で看取る...というケースが少なくありませんでした。患者さんを笑顔にしたい、人々の健康に貢献したいというのが、私の原点。そこで、ヘルスケアのイノベーションを起こすことに貢献したいと、薬の治験に関わるようになり、その後、ライフサイエンスのエコシステム構築を目指す湘南アイパークの開設に携わることになったのです」
外部連携を進め、イノベーションが生まれる土壌をつくる
「これからは医薬業界が単独で何かができる時代ではない」と藤本氏。例えば創薬では、AIによるスクリーニングなど他の技術との融合が不可欠になっていると言う。また、IT、まちづくりなど、「多領域の人材がいないと、地域としてイノベーションを育てる土壌はできない」と指摘する。そうしたなか強化しているのが、外部との連携だ。2032年に湘南アイパークの前にJRの新駅が予定されており、新しいまちづくりにおいて、2019年から湘南アイパーク、鎌倉市、藤沢市、神奈川県、湘南鎌倉総合病院(湘南アイパークに隣接する地域の中核病院)の5者連携が進んできた。 「実は当初は、地域の方々の中には歓迎ムードではない部分もあったのですが、私たちが実装したいヘルスイノベーションについて説明すると、ご理解いただき、5者協働でヘルスイノベーションのまちづくりに取り組むべく、定期的に集まって協議をしてきました。 実際、このエリアの病院や地域の診療所、介護施設等の医療データの連携などは検討が進んでおり、患者さんの医療データと普段の健康データが結び付く土台ができ始めています。また、地域住民の理解を得て、住民を巻き込んだオープンイノベーションのあり方も模索する必要があると感じています。まずは湘南アイパークのことを知っていただくために、地域住民を対象にした一般公開イベントなども開催しています」 昨年、国内のバイオベンチャーで上場を果たしたのは3社。うち2社が湘南アイパークに拠点を置く会社だ。藤本氏も、手応えを感じていると言う。 「私たちの挑戦はまだ始まったばかりですが、ベンチャーが育つ拠点として、メッカになりつつあると感じています。以前に比べてシェアは下がっているとはいえ、日本には優れた創薬・製薬技術があり、優秀な技術者もいます。起業家精神だって、日本人にはないと言われがちですが、第二次世界大戦後の日本の躍進を見ればわかるように、元来はあったはずなんです。つまりは、過去の成功にあぐらをかいていた部分が大きいのだと思います。 オープンイノベーションが進めば、再起の可能性は大いにあります。湘南アイパークがその拠点になるよう、ライフサイエンスのスイスとメッカになるよう、オープンイノベーションが起こるエコシステムの構築に努めたいと考えています」
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アイパークインスティチュート株式会社代表取締役社長。医師、経営学修士。日本、欧州及び米国における著名な病院で胸部外科医として勤務したのち、2006年から2017年まで日本イーライリリー株式会社にて研究開発本部長執行役員、取締役副社長を務める。2017年より、武田薬品工業株式会社 湘南ヘルスイノベーションパークのジェネラルマネジャーとして、ライフサイエンスエコシステムの形成、拡大に注力。アイパークインスティチュートの設立と武田薬品からの事業承継に伴い、2023年より現職。