組織の力

2021.09.07

インクルーシブな職場を実現する必要条件とは?〈前編〉

今求められる「反スティグマ」に向けた取り組み

多様なメンバーを包括するインクルーシブな職場を意識する企業が少しずつ増えているが、全員が快適に働く環境をつくるのは難しい。そこで、小児科医であり、東京大学先端科学技術センター准教授と東京大学バリアフリー支援室長を務めながら組織文化の研究も行う熊谷晋一郎氏に、インクルーシブな職場環境をつくる手法について解説していただいた。

※この記事は、一般社団法人OTD(大学と企業が協働で組織変革のためのダイバーシティを目指す組織)が2021年5月に開催したOTD研究会における熊谷氏の講演「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」の内容から構成しています。

インクルーシブな職場の条件は
「反スティグマ」と「高信頼性」

私は新生児仮死の後遺症によって脳性麻痺となり、現在も手足が自由に動かせません。大学卒業後に複数の病院で小児科医として勤務した際、特に研修医時代は、障害に伴うさまざまな苦労を経験しました。
その頃の経験も踏まえて、インクルーシブな職場には2つの文化的な必要条件があるのではないかと考えるようになりました。その条件とは、「反スティグマ」と「高信頼性」です。この2つがあれば十分というわけではなく、「最低限これだけは必要」ということです。まずは、「反スティグマ」についてお話しましょう。




スティグマとは?

「反スティグマの職場」は、文字通り「スティグマがない職場」です。スティグマとは、簡単に言うと「偏見や差別」を指しますが、詳しくは「ラベリング、隔離、ステレオタイプ、偏見、差別」と5つの現象に分けられます。それぞれの違いは以下の通りです。

〈スティグマの5つの現象〉
1.ラベリング:女性・子ども・障害者など似た属性の人をカテゴリー化すること
2.隔離:ラベリングしたグループの人たちを、時間的・空間的に分離すること。周囲と直接的な交流や協働のない障害者雇用や特別支援学級なども「隔離」の一例と考えられる
3.ステレオタイプ:ラベリングした1つのグループの人たちを、「全員同じ」であるかのようにひとくくりにして見てしまうこと
4.偏見:ラベリングした一部のカテゴリーに対し否定的な価値を付与すること
5.差別:偏見を向けたグループを攻撃すること。つまり、スティグマが行動となって表れたものが差別

「スティグマ=差別」と考えられがちですが、差別はスティグマに含まれる現象の一つであり、具体的な行動として表れた場合のみをさしたのが差別です。人々が心の中だけで感じている「行動に表れないスティグマ」もたくさんあるのです。

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「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」投影資料を参考に作成


スティグマの実例として、私自身の経験をご紹介します。私は、研修医時代に患者である赤ちゃんの採血がうまくいかずに悪戦苦闘した時期がありました。なんとか成功させようと自分で支援機器をつくって患者さんのところへ行っても、「採血に不慣れな車椅子の研修医が、見慣れない機器を持ってきた」と、親御さんや同僚から冷たい視線を向けられます。経験不足に加えて、スティグマを向けられたことで萎縮し、手が震えて採血に失敗する繰り返しでした。行動に表れないスティグマが、私を萎縮させてしまったのです。




スティグマの3つの分類

スティグマは、「誰がスティグマを持つか」によって3つに分類することができます。

〈スティグマの3つの分類〉
1.公的スティグマ:例えば健常者が障害者に対して向けるような、非当事者が当事者に対して持つスティグマ
2.自己スティグマ:自分が属するカテゴリーに対して持つスティグマ
3.構造的スティグマ:人々の中にあるものではなく、法律や慣習、規範などの中に含まれるスティグマ

この中で特に注意が必要なのは、2の「自己スティグマ」です。自分に対してネガティブな思いを持つと、何か困ったことがあっても「自分のように価値のない存在は、助けを求める権利がない」と思い込みやすいからです。また自己スティグマに陥った人は、自分と同じような人を否定する傾向もあるので、仲間と連帯する機会が失われがちになります。
連帯と援助希求(困ったときに助けを求めること)は、社会を変革するうえで必要不可欠な二大要素です。自己スティグマは、この2つを根こそぎ奪ってしまうのがやっかいなところです。




スティグマをまん延させるのは過剰な自己責任化

スティグマ現象を説明する「帰属理論」というものがあります。これは、例えば依存症や肥満、生活習慣病、学歴、職歴といった属性に対してスティグマが向けられやすいことを説明する理論です。これらの属性に共通しているのは、本人の努力や心がけだけによって起きることではないにもかかわらず、過剰に「本人の責任」だと思われがちな点です。

障害の分野では、精神障害の人がスティグマをもたれやすいのが現状です。この現象は一部、帰属理論で説明できます。身体障害に関しては、「甘えている」と考える人は近年では減っていますが、精神障害は目に見えないだけに「本人のせいではないか」と感じる人も少なくありません。周りからこうしたスティグマを向けられると、本人も自己スティグマを持ちやすくなり、スティグマがまん延することになるのです。




自己スティグマへの対処行動

自己スティグマにとらわれた人は、さまざまな行動によって対処しようとします。社会学者ゴフマンを引用して社会学者石川准は、スティグマへの対処行動を、自分1人で行う「孤立しながら行う対処行動」と、「理解ある他者と行う対処行動」に分けて説明しました。この2タイプの行動は、さらにそれぞれいくつかに分類されます。

〈孤立しながら行う対処行動〉
1.印象操作:周りから見えないように自分の属性を隠すこと
2.補償努力:例えば「障害があっても学業で努力してよい成績を取る」といった具合に、スティグマを向けられている属性とは違うところで努力し、周りに認められようとすること
3.他者の価値剥奪:自分とは違う属性の人にスティグマを向けることによって、相対的に自分の優位性を保とうとすること

〈理解ある他者と行う対処行動〉
1.価値の取り戻し:そのカテゴリーに属する人だからこそ切り拓ける、独自の新しい価値を打ち出すこと
2.他者評価からの自由:「そもそも人を値踏みする考え方自体がおかしい」という前提に立つこと

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「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」投影資料を参考に作成


「孤立しながら行う対処行動」は、自分を偽ったり他人を傷つけたりする行動なので、少なくとも長期的には、スティグマを持った本人の生きやすさにはつながらないといわれています。ただし、「他者の価値剥奪」のように他者にスティグマを向けるのは問題だとしても、「印象操作」や「補償努力」の行動によって生き延びようとする人を責めることは、決してあってはならないことです。間違っているのはスティグマを蔓延させている社会であり、本人だけに責任を背負わせるのはおかしな話だからです。

一方で、「理解ある他者と行う対処」は、周りと協働しながらスティグマに汚染された文化を変革していくことなので、非常に時間がかかります。しかしスティグマは、人々の心身の健康や機会の不平等を助長したりと負の影響が計り知れません。そこで現在、さまざまな研究者や実践者が、世の中からスティグマを減らす方法を模索しています。




反スティグマを実現するには?

スティグマは、当然ながら仕事の現場にもまん延しています。スティグマを向けられたワーカーのモチベーションやウェルビーイングは大きく下がります。ですから、「反スティグマ」を目指すことは、企業として生産性を高めていくためにも重要なことなのです。
そこで、ここではスティグマを減らすための手法を2つご紹介しましょう。ぜひみなさんの職場にも取り入れてみてください。

〈反スティグマ対策〉
・マイクロアグレッションに意識を向ける
・属性の異なるグループ同士での協同作業



マイクロアグレッションに意識を向ける

スティグマ低減の手法としてまず挙げられるのが、「マイクロアグレッション」に目を向けることです。マイクロアグレッションとは、日常の中に表れるスティグマのことで、意識的であれ無意識的であれ、人種、ジェンダー、性的指向、社会経済的地位、宗教、障害など、個人的特徴やグループ帰属に基づいて、日常的な短いやり取りの中で、他者を軽蔑するようなことと定義されます。悪意のある行動や言葉(マイクロアサルト)だけでなく、相手の状況に対する無知からのマイクロアグレッション(マイクロインサルト)もあります。

さらに、マイクロアグレッションを向けられて困っている人に対して、善意で「考えすぎだよ」「落ち込まないで」という言葉をかけるのも、マイクロアグレッションの一種です(マイクロインバリデーション)。なぜならこのような言い方は、相手が感じている感情や今までの経験を無効化していることになるからです。

そこで私たちは、自分の言動がマイクロアグレッションにつながるのではないかという意識を持たなければなりません。一部の企業ではすでに、組織マネジメントの一環としてマイクロアグレッションをモニタリングする取り組みを始めています。
また、マイクロアグレッションにさらされた人は、誰かに思いを吐き出すまでは仕事に集中するどころではないと考えられます。ですから、相談や愚痴を持ちかけられたら、励ます前にまずはいったん受け止めることも大切です。



属性の異なるグループ同士での協同作業

スティグマ関連の研究においては、「属性の異なるグループが接触する機会をもつ」ことも反スティグマの推進に必要だと明らかになっています。ただし、対等な関係ではない接触では、かえってスティグマを高めてしまう恐れがあります。

反スティグマを促す接触には、3つの条件が求められます。「対等な関係を保つ」「共通の目標に協力して取り組む」「接触行動が組織によってバックアップされている」。これら3つを満たした接触において初めて、スティグマが低減することが、近年の研究からわかってきました。

〈反スティグマを促す3つの接触条件〉
・対等な関係を保つ
・共通の目標に協力して取り組む
・接触行動が組織によってバックアップされている


「属性の異なるグループ同士の協同作業」の好例を紹介します。それは、研修医2年目で私が配属された職場での体験です。その病院の小児科はとても患者さんが多く、小児科医が常に不足している状況でした。だからこそ、健常者も障害者も関係なく全員が「自分1人では仕事をこなしきれない」という意識で仕事をしていました。また、それぞれのメンバーが「何もかもできる万能な人はいない」と考えて互いの強み、弱みを共有し、自然とチームワークが構築されていました。
このような環境の中で、私は自己スティグマを持たずに、自分の弱みを知ってもらってサポートしてもらいつつ、同時に自分の強みを育てることができました。1年目にうまくいかなかった赤ちゃんの採血も、自分流のやり方でうまくこなせるようになったのです。

自分自身の経験を振り返っても、属性の異なる人同士がフラットな関係性で協同作業をすることが、スティグマの低減に有効だと実感しています。

後編では、インクルーシブな職場を実現するためのもう一つの要件である「高信頼性」についてお話します。



熊谷 晋一郎(Kumagaya Shinichirou)

新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となり、中学時代から電動車椅子を使うようになる。東京大学医学部卒業後、小児科医として千葉西総合病院と埼玉医科大学病院小児心臓科での勤務などを経て、現在は東京大学先端科学技術センター准教授、東京大学バリアフリー支援室長を務める。専門分野は小児科学と当事者研究(障害や病気を持った人が、仲間の力を借りて自らの症状や日常生活上の苦労などについて研究する手法)。著書に『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』(岩波書店)、『<責任>の生成―中動態と当事者研究』(共著、新曜社)など著書多数。

文/横堀夏代