組織の力
インクルーシブな職場を実現する必要条件とは?〈後編〉
「高信頼性」のある組織のカギは「文化」と「謙虚なリーダー」の存在
※この記事は、一般社団法人OTD(大学と企業が協働で組織変革のためのダイバーシティを目指す組織)が2021年5月に開催したOTD研究会における熊谷氏の講演「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」の内容から構成しています。
高信頼性組織とは?
近年、インクルーシブな職場実現の必要条件の一つとして注目され始めた「高信頼性」は、「高信頼性組織」という概念で説明されることが多いようです。高信頼性組織とは、失敗が許されない環境のもとで、失敗を最小限にとどめて高い成果を出している組織を指します。 この概念はもともと、組織論研究分野で知られるアメリカの社会学者ペローの「ノーマル・アクシデント理論」への批判から始まっています。ペローは「原発のようにメンバー同士が密接に、複雑に関わり合っている組織では、どれほど注意深く仕事をしても失敗や事故を避けられない」という結論を出しました。しかし、このような組織でも事故が多い現場と少ない現場があることから、その違いに着目すれば「高いパフォーマンスを発揮できる組織の条件」が導き出せるのではないか、ということで高信頼性組織の研究が始まったのです。 高信頼性組織の研究者は、原子力発電所など危機と直面しやすい組織のあり方に着目し、「どうすればこのような組織が事故を起こさず安全に運用できるか」を研究しました。
高信頼性組織で重要なこと
ペローの「ノーマル・アクシデント理論」では、「組織の構造」(明文化された制度・マニュアル・役職や、物理的な設備・技術システムなどの「モノによる統制の仕組み」)に焦点が当てられていました。しかし、その後の高信頼性組織の研究家は、「組織の構造より文化の方が重要ではないか」と考えました。「文化」とは、組織を構成する人々の慣習や価値観、認知特性、行動特性などです。
「組織構造」に飲み込まれない「組織文化」
平時は、構造だけで組織をマネジメントすることは可能かも知れません。しかし有事になると、構造だけでは組織をコントロールできません。有事とは想定外のできごとなので、あらかじめモノに埋め込まれたやり方では通用しないからです。 想定外のインシデントが、組織全体を巻き込むアクシデントに発展しにくい高信頼性組織には、構造が破綻したときのバックアップ体制となる文化が根づいているはずです。有事のときは、インシデントに最前線で対応する人が臨時のリーダーになって、現場で対応していく必要があります。そのためには普段から、組織のビジョンやミッション、すなわち大枠の目的を、文化として全員が共有しておくことが不可欠です。目的は文化に宿ります。構造は手段しか与えません。
藤川なつこ(2015)「高信頼性組織研究の理論的展開:ノーマル・アクシデント理論と高信頼性理論の統合の可能性」, 『組織科学』,Vol.48(3), pp.5-17.の表1とテキストをもとに作成した「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」投影資料を参考に作成
アクシデントを減らす必要多様性
また、組織構造が複雑になればなるほど、それを制御する組織文化の複雑性(人間の知覚・認知・解釈の多様性)を超越してしまうため、人間がインシデントの重要な兆候を見逃したり、解釈が不完全となったり、対策が近視眼的となったりします。アクシデントを減らすには、構造の複雑性に匹敵するほどの、構造を操作する個人や集団の認知の複雑性が備わっていなくてはなりません。そこで大切になるのがメンバーの「多様性」です。さまざまな知覚や認知特性、技能をもち、多様な解釈をできる人が組織内にいてはじめて、複雑性の面で構造に負けない文化が実現する必要条件が満たされます。これを、必要多様性といいます。
研修医2年目で経験した職場は まさに「高信頼性組織」だった
私が「高信頼性組織」に関心を持ち始めたのは、福島真人氏の『学習の生態学』(東京大学出版会)という書籍に出合ったことがきっかけでした。 私は研修医1年目のとき、身体が不自由であるため周りからスティグマを向けられたこともあり、キャリアを変えた方がいいのではないかと感じるほど追い詰められていました。しかし、2年目に異動した職場はまったく違った環境で私を迎え入れてくれたため、小児科医として自信を取り戻すことができたのです。 前編でもお話した通り、研修医2年目で異動した職場はとても忙しく、どのスタッフもみな「自分だけでは仕事は回せない」と痛感していました。つまり、障害者である私だけではなく、全員が「万能な人は誰もいない」という意識を共有していたのです。また私の先輩は、私が採血をできずに怯えていたときに「何をためらっているんだ。ブスッといけ。何かあったら私が全部責任をとるから」と小声で励ましてくれました。そのときに私は、小児科医になって初めて身体の力がふわっと抜け、赤ちゃんの採血に成功したのです。 その経験から、私はずっと「1年目と2年目の職場では何が違ったのだろう」と考え続けてきました。ですからその後、『学習の生態学』で「高信頼性組織」という概念を知ったとき、「これだ!」と感じました。高信頼性として定義される組織文化が、まさに私が2年目に経験した職場の文化と一致していたからです。
高信頼性組織に必要な組織文化は 「研究し続ける文化」
では、高信頼性組織には具体的にどのような文化が必要なのでしょうか?ミッションの共有と必要多様性についてはすでに述べましたが、それ以外にはどのような条件があるでしょうか。いろいろな意見があり結論はまだ出ていませんが、ここでは、中西晶(2018)「「ゆるゆる組織」のエビデンス:当事者運営組織と高信頼性組織研究」で紹介されている、3つの必要条件を紹介します。
1.センスメイキング
私たちは生活のいろいろな場面で、「次はこうなるだろう」といった想定や予測を無意識のうちにします。仕事においても、「同僚はこんな行動をするだろう」「そこまでひどい事態にはならないだろう」と予想しながら働いています。しかし、予想外の出来事は必ず起きるものです。そのときに、目の前で起こっていることを認められずに「そんなはずがない。私の予測の方が正しい」と考える人もいます。この態度だと、さらなる事故を引き寄せてしまう恐れがあります。 「センスメイキング」はその逆で、自分の想定を覆すデータや事実を積極的に見つけようとすることを指します。センスメイキングの意識を持つ人や組織は、想定外の知見を得るためにアクションを起こし、自分の知識を常にアップデートしていけます。
2.マインドフルネス
「マインドフルネス」はセンスメイキングを実現するために、私たちがもっている無意識の思い込みを積極的に取り除いて、ありのままの事実をキャッチしようとするマインドセットを持ち続けている状態を指します。
3.ジャストカルチャー
想定外のできごとやミスが起きたときに、犯人捜しをしてその人を罰したり排除したりする組織はまだまだ多いかもしれません。しかしそのような対応では、人々は自分の失敗を極力隠そうとするため、同じ失敗が何度も起きるでしょう。 失敗は、見方を変えれば組織が共有している予測をアップデートする最大のチャンスです。そう考えると、失敗をオープンに報告することは賞賛されるべきことだといえます。そのうえで、失敗した当事者に責任を押しつけるのではなく、「どうすれば同じ失敗が起きなくなるだろう」と全員で考える姿勢が大切です。このようにして、組織が共有している予測や想定をバージョンアップしていくのが、「ジャストカルチャー」です。
高信頼性組織を実践する工夫
ここからは、自分の組織を「高信頼性組織」に近づけていくための具体的な方法を2つご紹介します。
問題の外在化
誰かが失敗や問題となるような行動をしたときに、私たちはつい、その人と問題を一体化してとらえがちです。これを「内在化」と呼びます。これに対して、問題と人を切り離し、失敗した人と仲間が一緒になって「なぜ失敗が起きたのか」を究明する態度が「外在化」です。これは、高信頼性組織の条件でもある「ジャストカルチャー」に通じる内容です。
「高信頼性と反スティグマ、当事者研究を通じた組織改革」投影資料を参考に作成
反省するときは「反芻」ではなく「省察」
失敗したときに反省をすることは必要です。ただし、反省の仕方にも2種類あるといわれています。「反芻」と「省察」です。 「反芻」は、「誰が悪かったんだろう?」といった犯人捜しのマインドで失敗を振り返ることです。このやり方だと、「私はいつもダメだな」と自分を責めたり、「あいつのせいだ」と他人を恨んだりするため、反省が必要以上に負の感情を伴うものになります。また複数の原因が複雑に絡み合って生じた問題を、誰か一人を原因にして極度な単純化をしてしまうことで、正確な原因特定ができず、対策を誤る危険性もあります。失敗を繰り返すことにもなり、自分や他者への信頼をもすり減らすことになるのです。 一方、「省察」は、自分が行ったことを外在化してとらえ、自己責任化せずに、「なぜ失敗が起こったのか?」と研究者のように解き明かそうとするやり方です。反省をするときには、1人1人が反芻ではなく省察の手法で行うことで、高信頼性組織に近づくことができます。 「省察だと当事者が無責任になりがちではないか」という意見もあります。しかし私は、「省察の態度で反省しなければ、本当の責任は取れないのではないか」と考えています。なぜなら、想定外の問題の原因を正確に把握することによってのみ、経験が次に活かされ、想定できる範囲が広がり、問題への事前対処が可能になるからです。そうでなければ問題は繰り返されます。問題が繰り返されているのに、責任を負ったとはみなされないでしょう。
ハイパフォーマンスの土台は 心理的安全性にある
ジャストカルチャーともかかわりが深いのが、心理的安全性です。アメリカのグーグル社が2015年に実施した「プロジェクト・アリストテレス」という有名な研究では、社内で高い成果を上げているチームを対象に調査を行いました。その結果、一人ひとりの能力の総和よりも、チームの人間関係が重要だということが示されました。人間関係の中でも特に、「対人関係においてリスクのある行動をしてもこのチームは安全である」と、チームメンバーが感じられている状態(これを「心理的安全性が高い状態」と表現します)が、チーム全体の成果をもたらしていました。 これはまさに、私が研修医2年目に「何かあったら私が責任をとるから」と励ましてくれた先輩の行動と重なります。リスクを伴ったアクションをとっても責められずに背中を押してもらえたり、失敗してもペナルティを課されないことで、私は心理的安全性を感じて、赤ちゃんの採血ができるようになったのです。
「謙虚なリーダーシップ」が 心理的安全性を担保する
心理的安全性が担保されているチームの特徴として、「謙虚なリーダーシップが働いている」ことが重要であると、近年の研究から明らかになってきました。ここでいう「謙虚さ」は、3つの要素から成り立っています。
1.リーダー自身が自己を正確に見ようとする
心理的安全性が高いチームのリーダーは、同僚や部下、上司など他者の目から自分がどう見えているかを受け入れ、より客観的・複眼的に自己を把握しようとし続けています。つまり、等身大の自分を発見するための取り組みを続けていることが「謙虚さ」の一つ目の要素なのです。
2.他者の強みや貢献を認める
私たちは他人のスキルやパフォーマンスを評価するときに、「コミュニケーションが上手だ」「仕事が正確で速い」などさまざまな物差しを使います。ところがリーダーによっては、自分が高評価を受けるような物差しで部下や同僚の評価をしがちなので、そのリーダーの周りには似た人ばかりが集まることになり、多様性が損なわれてしまいます。 自分にはない長所を評価する視点をもつことも、謙虚なリーダーに必要な条件といえます。
3.ティーチャビリティ
リーダーだからといって、知らないことや不得意なこともたくさんあります。そこに対して部下や同僚が気軽に教えたくなるような佇まいをリーダーが保つことも、チームの心理的安全性を高めるときには重要です。 高信頼性組織を実現するために必要な「リーダーの謙虚さ」や「心理的安全性」は、「どのくらい実践できているか」が目に見えにくいものです。私たち当事者研究を行うチームもこれらを数値化するための日本語版尺度を開発し、当事者意識と研究者マインドを持つための「当事者研究導入プログラム」を開発しました。 今回、前編で「反スティグマ」、後編で「高信頼性」についてお話しました。この2つを実践することで、多様な人が快適に創造的に働けるようになり、組織の生産性向上やイノベーションが実現できます。1人ひとりが少し考え方や行動のクセを変えるだけで、組織文化は確実に変わります。ぜひあなたの職場で、できることから実践してみてください。
熊谷 晋一郎(Kumagaya Shinichirou)
新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となり、中学時代から電動車椅子を使うようになる。東京大学医学部卒業後、小児科医として千葉西総合病院と埼玉医科大学病院小児心臓科での勤務などを経て、現在は東京大学先端科学技術センター准教授、東京大学バリアフリー支援室長を務める。専門分野は小児科学と当事者研究(障害や病気を持った人が、仲間の力を借りて自らの症状や日常生活上の苦労などについて研究する手法)。著書に『当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復』(岩波書店)、『<責任>の生成―中動態と当事者研究』(共著、新曜社)など著書多数。